第3話  こんにちは異世界

 

「――すると何か? 貴様は本当にただ迷い込んだだけだと言うのか?」
「だから最初に言っただろ、気が付いたらここに居たって」
「馬鹿か貴様は。そのような話、普通は信じられるわけが無かろう」
「……だよな。うん、自分で言っておいてアレだけど俺もそう思う」
「まあ、詳しい話はゆっくり聞かせてもらおうではないか……ほれ、着いたぞ。入れ」

 そんな会話をしながら扉を開ける。
 所変わって、思いっきり爆笑されたエヴァンジェリンに、詳しい話を聞きたいと言うことで連れてこられた場所は森の中にあった一軒家。
 先程木の上から確認した時に気が付けなかったのは家の明かりが付いていなかったからの様だ。

「――へえ、いい雰囲気の所だな」
 
 扉を開け、思わず素直な感想が口から出た。
 いわゆるログハウスである。
 いくつもの丸太が重なり合って構築されている温かみのある家だ。
 家の中にはたくさんの人形やらぬいぐるみやらがあるが、それはこの子の年齢を考えれば微笑ましく思える。

「お帰りなさいませ、マスター。――そちらの方は?」

 そんな風にキョロキョロと辺りを観察していると、奥の方から声が聞こえた。
 親族の方だろうか。――でもマスターって?

「ああ茶々丸、今帰った。こいつは……まあ、只の迷子だ、気にするな」
「……迷子って」

 些か気に入らないが事実なので反論のしようがない。

「了解しました」
「ええと、初めまして。俺は衛宮士郎。ちょっと道に迷ってしまいまして……迷惑だとは思いましたが、お邪魔しています」
「――こちらこそ、ようこそいらっしゃいました。挨拶が遅れました、私は絡繰茶々丸と申します。以後お見知りおきを」

 深々と礼をする茶々丸という女の子。
 礼儀正しい子だなあと感心していると、

「――ん?」

 耳になんか細長い金属でできたセンサーのような物が付いている。
 アクセサリーだろうか?

茶々丸日本茶を二つ淹れてきてくれ。コイツには色々聞きたいこともあるからな」
「YES、マスター」

 恭しく礼をして下がる茶々丸
 俺はそんな彼女の背中を見ながら、エヴァンジェリンへと疑問に思った事を問いかけた。
 
「なあ、マスターって……姉妹じゃないのか?」
「ん? ああ、茶々丸の事か。アイツは私の従者だよ。とりあえず座って待っていろ」
「……へえ?」

 従者ねぇ……ってことはエヴァンジェリンはお嬢様ってことか。
 まあ、納得っていえば納得かもしれない。
 俺の周りの知り合いもお嬢様っていえばこんな感じだし。
 どんな感じとは言わないけど。誰がとか言えないけど。

「……で、俺に聞きたいことがあるって言うのは良いんだが、俺も色々聞きたいことがあるんだけど」
「構わんさ。どうせ時間はあるんだしな」
「そっか。なら悪いんだけど俺から質問してもいいか?」
「好きにしろ」
「……それじゃあ聞くけどココってどこだ?」
「……麻帆良学園都市だ。それすら分からなかったのか?」
「だからホントに気が付いたらココに居たんだって――って、『学園』? ……ここ日本なのか?」
「なにを今更……って、ちょっと待て! 貴様、そんな基本的な所からなのか!?」

 バン、と机を叩いて睨まれる。
 ……いや、だって、なあ?

「だって西洋の建築様式の町並みだし、君だって金髪だしどう見てもヨーロッパとか思うだろ? 普通」
「――まあ確かに客観的に見れば確かにそうなのかもしれんが……しかし貴様は日本人だろう? 麻帆良学園都市の名前くらい耳にした事はないのか? かなり有名なはずだがな」
「……む」

 そう言われても困る。
 いくら頭を捻ろうがそんな名前は出てこないのだ。

「悪い、やっぱり知らないみたいだ。どうにもさっきから記憶があやふやで、覚えていない事も多いんだけどさ。そのせいだと思うんだけど……でも、おかしいな……情報とか知識とかその辺はそのままあるから知っていれば覚えている筈なんだけど……」
「ふむ、そうか。細かい事は別にいいさ。それより私からも聞きたいんだが――」
「ああ、いいよ。今言った通り記憶がイマイチはっきりしなくてもいいんなら答えるよ」
「では……衛宮士郎とかいったな? それは偽名か?」
「いや、本名だけど」
「ふむ……ならば次の質問だ。貴様は私を狙って来たのではないのか?」
「――は? なんだって俺が君を狙うのさ?」
「――違うのなら構わん。私の名前を狙った賞金稼ぎかとも思ったんだがな。懸賞金は取り下げられても私を倒したとなれば一気に名が売れるからな……しかしそれも検討違いか……」
「まあ、俺も君みたいな長い名前の知り合いはいるけど、聞いた事もないし、狙うとかそんなのは無いからな……」

 長い名前だったら知り合いに結構いるけど、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルという名前に心当たりはなかった。
 そんな感想から、俺はなんと無しにそんな言葉を口にしたのだが、
 
「――待て。貴様、私の名前を知らんだと?」
「へ?」

 けれど彼女はさも意外な物を見るようにして驚いた。
 お互いコイツナニユッテンノって感じで放心する。

「――妙だな。私の名前を知らないだと?」
「全くの初耳だけど……」

 何だ、この子って有名人だったりするんだろうか?
 そんな有名人を知らない俺が悪いのか、なんか妙に迫力ある視線で睨まれても知らないものは知らないので困るのだが。
 ……しかし拙い、早くも粗相をしでかしてしまっただろうか、俺。

「貴様は魔法使い……だよな?」
「いや、魔術師だけど……」
「…………」
「…………」
「――ん?」
「――む?」

 なんか話が噛み合っている様で噛み合ってない?

「……さっきも言っていたが、なんだその魔術師というのは。貴様流の拘りか何かか?」
「や、魔法使いは名乗らないだろ? 普通」
「――」
「――」

 ……まただ、何かがずれている。
 なんだろうこの感じ。
 お互い、過程は合っているのに、前提を決定的に間違えて話しているような、そんな違和感。

「……どうやら話に些か食い違いがあるようだな」
「みたいだな……」
「貴様の母国は日本で間違いないな?」
「ああ、それは確かだ」
「出身は?」
冬木市ってとこだけど――」
「――そのような地名は存在しません」
「え?」

 背後から聞こえた声に振り返ると、先ほどの茶々丸と言う女の子がお盆に湯のみを載せて立っていた。
 いや、それよりもこの子は今なんと言ったか?
 ――冬木市が存在しないと言わなかったか?

「存在しない? 茶々丸それは確かか」
「はい。日本に『冬木市』という地名は存在しません」
「――冬木が存在しない?」

 待て、一体どういう事だ?
 ここは確かに日本だと言う。
 しかし存在しない冬木の町。

「――――まさか」

 存在しない町。
 存在する学園都市。
 己を魔法使いと呼ぶ少女。
 魔術師という呼び方に疑問を違和感を抱く少女。
 数少ない情報ながら、回答が頭の中でカシャカシャと音を立ててパズルのように組みあがっていく。
 
「……まさか」
 
 しかし、けど、でも、まさか。
 そんな否定文が頭を埋め尽くすが、どうしても結論はある一つの回答を導き出していた。
 その結論は、

「――――異世界?」


◆◇―――◇◆


「――――異世界?」

 そんな呟きが目の前の男から聞こえた。

「なに、異世界だと?」

 そんな突飛な発言に、思わず呆れかけるが……

(いや、むしろその方が話の辻褄はあうのか?)

 微妙にずれる会話。
 存在しない町。
 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの名前を知らない男。
 先ほどの戦闘が全力とは思えない事から、実力の底はまるで見えては来ないが、恐らくは戦闘能力AA+のタカミチすら凌駕しかねないほどの手練手管を見るに、かなりの実力者の可能性が高い。
 そんな男が全くの無名という事実。

「――なるほど、異世界か。それは予想外だったがあり得ないことではないな」
「いや、けど!」
「なに、類似点は多いようだが全く同じ世界というわけでもなさそうだ。違いを挙げていけばすぐにわかるだろうさ」
「……そう、だな。じゃあまず確認なんだけど」
 
 そうして話す事数分。
 結果は、やはりこの男は異世界から迷い込んだ可能性が極めて高いようだという事に至った。
 魔術と魔法の違い。
 魔術協会と呼ばれる組織形態。
 魔法界が存在しないと言う世界。
 類似点は確かに多いが、世界を構成するシステムからしてあまりに違いが多すぎる。

「――ふむ、話をまとめると十中八九貴様は異世界から迷い込んできたようだな」
「……認めたくはないけどそのようで」

 ハァ、と大きなため息をつきながら男は現実として今の話を認めたようだ。

「……慌てんのだな、貴様は」
「え? ……ああ、そりゃ驚いてはいるさ。目が覚めてみたら違う世界だなんてまるで映画みたいな話だ」
「その割には随分落ち着いているように見えるのだが?」
「まあ、慌てても現状が変わるわけでもないし、それに――」
「それに?」
 
 すると男は、何処か悟ったように、それでいて何かを諦めているような、そんな遠くを見る虚ろな目をして、
 
「――こういう事に陥る元凶になりそうな人物に少々心当たりが……」
「…………」
 
 ……異世界に飛ばされるような元凶になる奴ってどんなだ?
 それに心当たりのあるコイツの人間関係がイヤ過ぎる。
 
「と、とりあえずだ。これからお前はどうするのだ?」
「……これから? これからって言われてもな。――状況把握もまだまだなんだからな、とりあえず情報を集めてなんとか帰る方法を探すしかないんだろうけど。それもいつになるやら……って、まずい、俺お金とかもないんだった」
「なるほどね」

 まあ、私に関係の無いところでなら幾らでも問題を起してくれて結構。
 存分に自分探しの旅でもなんでもやってくれ。

(――ん? 待てよ?)

 しかし、そこで妙案が頭をよぎる。
 これは……使えるんじゃないか?
 
「――おい、貴様」
「ん?」
「だったら私が職を案内してやろう」
「え? 本当か!?」
「――ああ、本当だとも。一挙両得の妙案だ。ククク、我ながら素晴らしい手を思いついた物だ」

 そうだ、コイツに私の仕事を全部押し付けてやればよいのだ。
 こんな面倒な呪いのせいで一々私が出張る事になっている手間を、全てこいつにやらせれば良い。
 腕は申し分ない無いはずだろうし、ジジィも文句は言うまい。


◆◇―――◇◆


「――ああ、本当だとも。一挙両得の妙案だ。ククク、我ながら素晴らしい手を思いついた物だ」

 そう言って、くつくつと笑うエヴァンジェリンに一抹どころではないレベルでの不安を覚える。

(――あれは良くない、良くない笑みだ!)

 幾多の経験から鍛え上げられた危機回避能力が警鐘を鳴らす。
 しかし、それを拒むと、これから以後立ち行かなくなるのも事実。
 よって回避不能
 全く持って役に立っていない危機回避能力に我が事ながら若干凹む。

「それは助かるけど……なんでそんなに良くしてくれるんだ?」

 とりあえず自分を鼓舞して疑問をぶつけてみる。
 考えてみれば初対面、それも最悪の出会い方をしているはずなのに……

「なに、慈善事業じゃないんだ、目的はある。ま、それでも一番大きな要因は――面白そうだからだな」
「――は?」

 これは全くの予想外の回答。
 一番の要因が善意でも無く、損得勘定でもなく、ただ面白そうだからと言う興味だと?

「そんな変な顔をするな。私だってな、退屈じゃなければ貴様のような輩に一々興味など持たん」

 俺が不意打ちの回答に間の抜け顔を晒したせいか、若干不満げに、ため息交じりで言う。

「ただ封印のせいでこんな所に15年も拘束を余儀なくされている上、力も出せないとなると退屈は私の大敵なんだ。少しでもそれが紛れるなら偶には気まぐれも悪くは無いさ」
「そうか……」

 一応は目的らしい物はあるっぽい。
 けれど退屈凌ぎってどうなんだろう?

「――ん?」

 それよりも一連の会話の中で奇妙な引っかかりを感じた。
 はて、俺の聞き間違いだろうか?

「……15年?」
「ん? そう言ったがなんだ?」
「……………………誰が?」
「私がだ」
「――――」
「……おい、待て貴様、今のその間はなんだ?」
「イヤ、ナンデモナイデスヨ?」
「何故片言になる。――貴様、よもや私が見た目通りの年齢だと思って餓鬼扱いしたのではあるまいな」

 ごめんなさい。思いっきり思ってました。

「――正直、小学生位かと……」
「――ほう?」

 スーッ、と目が細る。
 ヤバイ。
 地雷を踏んでしまった感がある。
 今こそ働け俺の危機回避能力よ! この場を切り抜ける最適の手段をこの手に——ッ!

「――ふん、まあいい。貴様を怒鳴っても意味の無い事だ。それにあながち間違いとも言えんしな」
「え?」

 けれど現実は俺が思っていたよりも穏やかな声と回答だった。

「確かにこの身は10歳の年齢のままだ、お前が勘違いするのも無理は無いだろう。だが、真祖となって数百年、貴様のような若造に子供扱いされる謂れはないぞ」
「――――」

 驚いた。
 なにが驚いたかって話しに出てきた二つの単語。
 まず『真祖』。
 俺がいた世界なら真祖はそれこそ最強の存在だ。
 なんでも、世界そのものとリンクしていて、そこから力を引き上げるらしく際限が無いと聞く。
 倒すにはそれこそ世界をも倒すような、とんでもない概念武装が必要らしい。
 そんな相手に俺が勝った? 有り得ないだろう。
 しかし、それもここが異世界だとするなら、世界そのもののシステムが、根本からして違うのだから、存在そのものが違うのだという事が分かる。
 けれど『数百年』?
 その言葉に引っかかりを感じる。

「仲間は……」
「なんだ?」
「仲間とかはいるのか? その真祖の仲間って」
「はん、そんなものいらんよ。他の連中は知らんがな、私は群れるのが嫌いなんでね」
「……そうか」

 許せなかった。
 なにが許せなかったって、仮に見た目だけだとしても、こんな女の子が数百年もの長い時を一人で歩んできたということだ。
 けれど、そんな事をとやかく言える権利は俺には無い。

「ふん、つまらん話をしたな。――おい、茶々丸
「はい」
「コイツに寝床を与えてやれ、適当でかまわんぞ」
「わかりました」
「え?」

 暗くなった思考から起き上がると、これまた予想外の展開。

「な、ちょ、まっ! ……い、良いのか?」
「なに、乗りかかった船だ。この程度の事は面倒みてやろう」
「……すまん」

 何から何まで、と申し訳ない気持ちになるがここはありがたく受け取っておこう。実際問題として、俺には行く当てなんかまるで無いのだから。
 それで用は済んだのか、じゃあな、と二階に向かおうとする小さな背中。

「あ、その前にもう一ついいか?」
「なんだ? まだ何かあるのか?」

 俺がそうやって呼び止めると、エヴァンジェリンは手すりに手を掛けたまま、首だけでさも面倒そうに振り返った。

「名前で呼んでくれないか?」
「……は?」
「だから名前。さっきから俺のこと『貴様』とか『お前』ってしか呼んでないだろ?」
「――はん、下らん」
「そうは言ってもな、いつまでもそんな呼び方されたら誰が誰だか分からなくなるだろ? 俺もエヴァンジェリン……は呼びにくいな。良かったらエヴァって呼んでいいか?」
「どうでもいい、好きにしろ」
「そうか、俺の事も好きに呼んでくれて構わないからさ」
「それこそ私の自由だろう、だったら貴様で十分だ」

 そう言い残して階段を上っていく。
 やれやれ失敗したかな、などと心の中でため息を吐く。
 それでもとりあえず、

「おやすみ、エヴァ

 返答を気にせずその背中に声掛ける。
 けれど返って来た反応は予想外で、

「ああ、おやすみ――」

 それがなんだか嬉しくて、

「――士郎」

 そんな些細なことに、自身の頬が緩むのを感じたのだった。