第21話  決別の時


「そろそろ動くぞ」
 
 春休みも終わり、エヴァ達も2年から3年へと学年が進んだ始業式を終えた夜。
 家でノンビリと夕食を楽しんでいると、エヴァが唐突に切り出した。
 
「なんだ、どっか行くのか?」
「……いやまあ、行くと言えば行くんだが……そうではなくてだな、以前に話しただろう? 私の呪いを解く目処が付いた、と」
「ああ、言ってたな」
「その時が近い」
 
 ……遂に来たか。
 エヴァの宿願が叶うその時が。この時の為に耐えに耐えた日々が終わりを告げるのだ。
 その思いはひとしおだろう。
 
「そうか……で、何時なんだ? 俺に何かできる事はあるか?」
 
 子供のようにハシャいでいるのが自分でも良く分かる。
 テーブルから身を乗り出してエヴァに詰め寄った。
 それをエヴァは、微笑ましいモノでも見るように笑いながら、やんわりと制した。
 
「まあ、待て。そう急くな。物事には順序と言うモノがあるだろう?」
「そ、そうだな。……スマン、ちょっと先走っちまった」
「なに、その気持ちは嬉しいから気にするな。さて……なにから説明したものか。そうだな……まず、私の呪いがサウザンドマスターによってかけられているのは知っているな?」
「ああ」
 
 それは以前に聞いている。
 そのせいで15年もの間、ここに縛り付けられているのだから、それ相応の感情を持っていても何ら不思議はないだろう。
 
「この呪いは『登校の呪い』何て言うふざけた物なんだが……、実は最近になってこれとは別に、私の魔力を抑え込んでいる『結界』がある事が判明した」
「結界?」
「ああ、つまり二重に封じられていたわけだ、私は」
「そうか……でもなんで今まで気が付かなかったんだ? エヴァならその程度の事、気が付きそうなもんだけどな」
「それなんだがな……思いも寄らない盲点を突かれた」
「……って言うと?」
「この結界の動力なんだが――電力なのだ」
「――は?」
 
 デンリョク?
 電力……それって、家電製品とかに使う電力の事か?
 
「……そう、抜けた顔をするな。私だって意外だったのだ。まさか魔法使いが電気に頼る時代が来るとはまるで考えなかった。そのせいで私も気が付かなかったんだからな……、やられたよ」
「そ、そうか……で、なんだって今になってそれが分かったんだ?」
「それはこの――茶々丸のおかげだ」
 
 エヴァは傍らで食後のお茶の準備をしている茶々丸を顎で指した。
 ……なるほど、考えてみれば茶々丸はロボットだから、そこら辺に詳しいのかもしれない。
 
「結界の事はわかった。で、具体的にはどうするんだ?」
「うむ、それなんだがな。まず結界の維持には大量の電力が必要らしい。そこでこの電力をどうにかしなければならないのだが……近々、学園でメンテナンスとやらで停電になるらしい。無論、それだけで解除されるほど甘い物ではないが、――そこで茶々丸の出番だ。私には良く分からんのだが……なにやら停電になることによって……あー、しすてむ? とやらに穴ができてその隙に…………ぴっきんぐ……? が可能らしい」
「…………泥棒でもするのか?」
 
 どっかに忍び込むとかのスニーキングミッションなのだろうか。
 
「――マスター、それをおっしゃるなら『ハッキング』です」
 
 いいタイミングの突込みだ、茶々丸
 茶々丸エヴァの発言を訂正しながら、紅茶の入ったカップを静かに置いて回る。
 
「それだ。『はっきんぐ』をするんだ」
 
 どうだスゴイだろう! と偉そうにふんぞり返るエヴァ
 ――うん、でもなエヴァ。お前、具体的に何するかは絶対わかってないよな?
 突っ込みを入れるといじけそうだからやらないけど。
 
「それで、ハッキングでシステムを破壊すれば結界は無くなるのか?」
「いや、あくまで一時しのぎらしい。電力が戻ってしまえば再び結界が作用をはじめる」
「……じゃあ、あんまり意味がないんじゃないか?」
「そう慌てるな。そこで今度は『登校の呪い』の話になる。順番立てて説明するとだな……この呪いを解呪する準備段階で必要なのが私自身の魔力なのだが……これは士郎からの定期的な血液提供によって十二分に確保できた。その点では大いに感謝しているぞ、士郎」
「いや、それは全然構わないんだけど……で?」
 
 若干熱くなった頬を掻きながら応える。
 最近のエヴァは、わりかし素直に感情を表現してくるので、面と向かって礼を言われたりすると少し照れる。
 まあ、その分俺を認めてくれているのだろうから嬉しい事ではあるのだが。
 
「うむ、『登校の呪い』の解呪にはあるモノが必要になる」
「あるモノ?」
 
 儀式に使う道具とかだろうか?
 もしも足りない道具とかあればそれこそ俺の出番なんだが……。
 
「ああ、それはな、サウザンドマスターの――――ヤツの血縁者の血だ」
 
 そんな彼女の言葉に思考が止まった。
 
「…………………………………………………え?」
 
 ――言葉の、意味が、理解、できない。
 何を………………エヴァは、なにを……イッテイルンダ。
 魔力の問題は俺の血で解決したんじゃないのか。
 サウザンドマスターの血縁者……それはネギ君の事か。
 何故、なんで、どうして、訳がワカラナイ。
 ……いや、それより、そんな事より――エヴァがまた人を襲うと言うのが、俺には信じられない。
 
「つまりはあの坊やの血が大量に必要なのだ。問題は、あの坊やの魔力に対抗するための魔力だったのだが……、それも士郎のおかげで全て解決した。クックックッ……、素晴らしいぞ、順調も順調過ぎるほどだ。さて、自由になったら何をするか……なあ、士郎。再び世界を巡るのも楽しいかも知れんな。ああ、それとも何処か静かな所でゆっくりと暮らすのも悪くないな。なあ、どうだ士郎? お前は何がしたい?」
 
 楽しげに、謳うように、心底面白いと言うように。
 呆然とする俺にエヴァは気がつかない。
 
「――ま、待って……待ってくれ、エヴァ。ネギ君の血を必要にって…………なんでだ?」
「ん? そんなの当然だろう。サウザンドマスターによってかけられた呪いは絶大な魔力によって編まれたモノだ。そんなモノの解呪にはヤツと同等、同質の魔力が必要なのは言うまでも無かろう?」
「で、でも……だからって――ネギ君を傷つけるのか?」
「――当たり前だ。ヤツの親父が残したモノは、全て息子である坊やに引き継いでもらう」
 
 スッ、とエヴァの瞳が真剣味を増す。
 
「まさか――お前ともあろう男が、息子である坊やには責任は無い。などと、甘ったれた事を言うまいな?」
「………………それは」
 
 そんな事は無い。
 俺自身、親父の意思を継いで正義の味方を目指すと決めた時点で、親父の罪も一緒に背負う覚悟をした。
 けど、
 
「でも、ネギ君はまだ子供だ。――まだ覚悟もできていない子に罪の所在を問うのは、…………俺は反対だ」
「――――なんだと?」
 
 まるで、信じられないモノを見るかのようにエヴァは表情を曇らせる。
 俺の答えをまるで予想すらしていなかったのような表情だった。
 
「だ、だとしたらお前は……私がこのまま呪いに縛られたままでいいと言うのか?」
「違う、違うんだエヴァ。そういうコトを言ってるんじゃないんだ」
 
 エヴァが俺の瞳を、頼り無く揺れる眼差しでジッと覗き込んでいる。
 
「…………士郎。なあ、士郎。私はこの時の為に15年も苦渋を舐めさせられてきたんだ。――15年……15年だぞ? 15年もの間、力を封じられ続け、平和ボケした小娘どもの中で生活して行く事を強制させられたんだ。お前ならば、それをこれからも続けろ、などとは……言わないよな? お前なら私の気持ちを分かってくれるよな?」
 
 すがる様な瞳。
 まるで子が親を信頼しきって見上げているような瞳だ。
 ――でも。
 この15年、どういう思いでエヴァが暮らしていたかは俺には分からない。
 ――それでも。
 
「俺だってエヴァを助けたい、その呪いをどうにかしたいと思っている。これは間違いなく俺の本心だ。 ……でも、だからってそれをネギ君に強要するのは違うと思う」
 
 瞬間、エヴァは信じられないモノを見るような瞳で俺を見た。
 
「――――うそ……だろう? 何故そんな事を言うんだ……? ……なあ士郎。頷いてくれ……解き放たれたいと言う私を肯定してくれっ!」
 
 声を荒げる。
 その叫びは、もはや悲痛といっても差し障りのないほど痛烈な慟哭に聞こえて耳に痛い。
 俺がこんな声を出させているのだと思うと心が軋んだ。
 でも、
 
エヴァの呪いを解くというのには賛成だ。でも、その為に他の誰か……他人を傷つけるのは反対だ。……エヴァ――それはきっと間違ってる」
 
 俺にはソレが正しい事だとは思えない。
 エヴァに何とか分かって欲しくて、万感の思いを込めてそう告げる。
 だが、エヴァは俺の言葉を聞いた瞬間、見る見るうちに怒りを露わにした。
 
「――私が……間違っている――だと!? ただ自由になりたいと……そう思う私の願いが間違っていると言うのかっ!? ……訂正しろ士郎。いくらお前でも――その言葉は見逃せんぞ」
 
 底冷えするような冷たい声。俺はこんなエヴァの声を聞いたことが無かった。
 間違いない、彼女は本気で怒っている。
 これ以上言葉を重ねれば、待っているのは聞きたくも無い結末だろう。
 ……それでも、俺は言わなくてはならないのだ。
 
「…………訂正は――しない。エヴァは助けたい。けど、エヴァのしようとしている事は間違ってると思う。これが俺の考えだ」
「――ならば、お前の言う正解はなんだと言うんだっ!」
「俺だって何が正しいかなんてわからない……もしかしたら正解なんてないのかも知れない。――――でも……」
 
 エヴァの瞳に感情が灯る。
 けど、そこに映る輝きは、いつもの明るい感情ではなく、きっと暗い負の感情だ。
 
「――そうか、つまりお前は」
「……ああ、エヴァの考えにはどうしても賛同できない」
「――――」
 
 一瞬、エヴァがひどく悲しそうな表情を見せたように見えた。
 まるで泣きそうな、泣く一歩手前の子供のような、そんな表情。
 けれど、それは見間違いだったのかと思うほど次に見せた彼女の顔には、感情が無かった。
 
「――出て行け、この偽善者が」
「っ! マ、マスター!? 何を、」
「黙れ茶々丸。口答えは許さん。お前も聞いていただろう、”コイツ”は私の悲願の妨げになる可能性がある。そんな者をここにおいて置くわけが無いだろうが。――”貴様”もいいな。この私にそんな下らない妄言を吐いたのだ、相応の覚悟はできているだろう」
「…………ああ」
「そ、そんな士郎さんまでっ!」
 
 茶々丸が出て行こうとする俺を引きとめようと服の袖を掴む。
 けれどその力は余りにも弱弱しい。
 
「ゴメンな茶々丸……、でも俺はエヴァのやり方にはどうしても賛同できない。誰かの不幸の上に成り立つ幸せなんて、そんなの――俺は嫌だ」
 
 当事者ではない俺の言葉はきっと軽いのだろう。
 そして、そんな言葉はエヴァに届きはしない。
 
「し、しかし士郎さんには他に行く場所がないのでしょう!?」
「大丈夫、店にだって寝泊りくらいできる。……ゴメンな、茶々丸
 
 あくまで引き止めようてしてくれる茶々丸の手をポンポン、と優しく叩く。
 それで俺が止まる事は無いと判断したのか、弱く握っていた手が力なく落ちた。
 そんな茶々丸を置き去りに、地下へと通じる階段を下ってバックを掴む。
 思えば俺に荷物なんて呼べる代物はこれ位しかなかった。
 手にしたバックを背負い階段を上がる。
 玄関に向かう途中、エヴァの顔を盗み見るが、その顔にはやはり何も感情が無かった。
 ゆっくりと扉を開けると蝶番のきしむ音がもの悲しげに響く。
 
「随分、世話になったなエヴァ
「…………」
 
 返事は無い。
 本格的に嫌われてしまったのだろう。
 そう思うと胸が――痛んだ。
 一歩前に出るとそこはもう夜の世界。暖かい家の中と壁一枚で区切られてるだけとは思えないほどのそれは、まるで別世界だ。
 後ろ手にゆっくりと扉を閉める。
 
「……でもなエヴァ、これだけは言わせてくれ」
「…………」
 
 やはり返事は無い。
 それはわかっていた事だ。
 返事を期待していた訳ではないが、それでも寂しいものがある。
 それでも、これは言わないと……。
 
「――例え何があっても、俺はエヴァ達の味方だ」
 
 扉が閉まる寸前、ハッキリと聞こえる声で、そう、伝えた。
 パタン、と扉が閉まる。
 その瞬間。
 扉に叩きつけられるように何かが勢い良く当たる音と、カップの様なものが砕け散る派手な音が鳴り響いた。
 けれどそれは既に別の世界の話。
 今、俺の居る場所とエヴァ達の居る場所は、壁一枚を隔てて、確かに区切られていた――。
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
「――は……っ! はぁっ……はぁはぁ……はぁ……っ」
 
 私は肩で大きく息をしていた。
 
『――――例え何があっても、俺はエヴァ達の味方だ』
 
 今出て行った馬鹿の言葉を聞いた瞬間、私は目の前にあったティーカップを思い切り扉に向かって投げつけていた。
 ふざけるな! 何が”味方”だ!! 軽々しくそんな言葉をほざいてるんじゃない!!!
 一瞬前まではそう信じて疑わなかったが、この大事な場面で裏切られたっ!!!
 目の前が真っ赤になったと勘違いするほど頭に血が昇る。
 
「――マスター、よろしかったのですか?」
 
 茶々丸の無機質な声。
 見ると、扉の近くにしゃがみ込み、こちらに視線を向けることなく割れたカップを手で拾い集めていた。
 その感情を感じさせない声色に少し頭が冷静さを取り戻す。
 
「――よろしかったのですか?」
 
 もう一度問う。
 意志を持たないはずの無機質な瞳に、確かな意志を込めて私を見た。
 
「当たり前だ、。気紛れに拾った野良犬程度に何を言われた所で、15年の悲願が変わるわけが無いだろう」
「…………そうですか」
 
 そう言うと茶々丸は足元のカップの破片に目を落とし拾い続ける。
 くそっっ! イライラする……。私はこの程度のことに心動かすほど甘い人間ではなかったはずだ。
 それなのにこの体たらく……。
 どうしたと言うのだ、私はっ。
 
「――っく。……出るぞ茶々丸。予定通り、満月の今夜仕掛ける。ここ暫くは生徒を襲って血を吸っていなかったが、噂はいい感じに広まっていた。昼間に様子を伺った感じだと坊やは今夜見回りをしている筈だ」
「…………」
「……返事はどうしたっ!」
「……YES、マスター」
 
 何だと言うのだ本当に。私はおろか茶々丸まで様子がおかしい。
 まるで機械の歯車が一つ欠けてしまったかのような、そんな違和感。
 私達はこれまでの二年間、二人で上手くやって来た筈だ。
 それが元に戻っただけだというのに……なんなんだ、畜生!!
 
◆◇――――◇◆
 
 役に立つか分からない茶々丸は指定の場所に待機させ、私は街灯の上に立ち、坊やの姿を探していた。
 その姿は思いのほか早く見つかった。
 フラフラと歩きながら辺りを警戒こそしているが、緊張感の欠ける表情で辺りを見回している。
 その平和呆けした表情に嗜虐心がそそられる。
 どうやって試してやるか…………。
 先程からのイライラも相まって幾重にも思考が回る。
 そこで、視界の端に面白いものを見つけた。
 
「――27番、宮崎のどか、か……。悪いが生贄になってもらおう……」
 
 クラスメートである少女に目標を定め――襲い掛かる。
 私は、目標にワザと”気が付かれる様に”派手に目の前に飛び降りた。
 本来なら、予定より多くの魔力を補充する事が出来た私には、素人相手に気が付かれることなく接近する事は容易だったのだが、今の目的は坊やの力量を量るコト、坊やに気が付かれる事にこそ意味がある。
 案の定、驚いて悲鳴を上げる宮崎のどかに反応して坊やが文字通り飛んでやって来た。
 
「ぼ、僕の生徒に何をするんですかーーっ!!」
 
 ……ふん、来たか。
 さて、貴様の力、試させてもらおうか――!
 
「――となりて、敵を捕まえろ――”魔法の射手・戒めの風矢”!!」
 
 捕縛魔法か。
 基礎的な魔法だが……悪くない。
 懐から魔法薬を取り出し指先で弾くように放り投げる。
 
「――”氷楯”」
 
 触媒を介して目の前に氷の楯を展開する。
 瞬間。
 バキキキキンッ! と激しい音を立てて迫り来る脅威は全て弾き返した。
 その音の激しさが向けられた魔法の威力を如実に物語っていた。
 
「…………なるほど、凄まじい魔力だ。私の魔力がもう少し低ければ手傷を負っていたやも知れぬ。ふん、これも士…………っ、ちっ……」
 
 言いかけて……止めた。
 くそっ、いちいち馬鹿の顔がちらつく。
 この程度で揺らぐ程、私は弱くなかった筈だ!
 
「……ふん、まあいい。――さて、先生。新学期に入ったんだ、改めて歓迎の挨拶といこうか……。いや、……ネギ・スプリングフィールドと呼んだ方がいいか? 10歳でその力……なるほど”奴”の息子なだけはある」
 
 ささくれ立った感情を無理矢理押し込んで言葉を放つ。
 私に驚いて気絶したのだろう、坊やは倒れた宮崎のどかを抱き起こしながらこちらを伺う。
 
「き、君は……ウチのクラスの……エヴァンジェリンさん!?」
 
 驚きながらもこちらを警戒する素振りを見せる。
 
「な、何者なんですかアナタはっ……僕と同じ魔法使いのくせに何故こんな事を!?」
 
 ……なるほど。
 強大な力を持っていても所詮ガキはガキか。
 自分が組する世界は”善”一色で成り立っていると信じて疑わないらしい。
 
「――この世には、良い魔法使いと悪い魔法使いがいるんだよ。ネギ先生
 
 もう一度懐から魔法薬を取り出し、放り投げた。
 
「――”氷結、武装解除”!」
 
 武装を凍結、粉砕させる効力を持つ術を放つ。
 元々、攻撃力は持たない術だが私の予想が正しければ……。
 
「――うあっ!?」
 
 坊やは唐突な術式に対して防壁を敷くことすらできず、咄嗟に片手を突き出しただけだが、不完全とは言えそれを抵抗(レジスト)してみせる。
 
「――やはりな」
 
 防壁無しでこの対魔力、魔法抵抗力もかなり高い。
 潜在的な魔力は、もしやすると全盛期の私を上回るかもしれない程だ。
 
「――何や、今の音っ!?」
「あっ、ネギ!!」
 
 そんな時、第三者の声が聞こえてきた。
 ちっ……邪魔が入ったか。
 まだ、試すことは残っているのだが。
 ……しかたない、場所を変えて次の段階に移るか……。
 
「――フン、着いて来るがいい坊や」
 
 流れる風に乗るように移動を開始する。
 さて、着いて来れるか……。
 
「――いたっ!」
 
 背後から声が聞こえる。
 予想を上回る反応だった。
 
「速いな。そう言えば坊やは”風”が得意だったか……」
 
 なるほど、速度は予想以上か。
 ――ならば、これはどうかな?
 橋の欄干から飛び降り空を舞う。
 背後を窺うと坊やは杖に跨り必死に追ってきていた。
 と、なると浮遊術はまだ習得していないらしい。
 
「待ちなさーい! エヴァンジェリンさん、どーしてこんなことするんですか! 先生としても許せませんよーー!!」
「――ハハ、先生、”奴”のコト知りたいんだろ? 奴の話を聞きたくはないのか? 私を捕まえたら教えてやるよ!」
「…………本当ですね?」
 
 表情が変わる。
 なるほど、ナギの事に拘っていると言う茶々丸の情報は正しかったようだ。
 
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風精召喚っ!! ”剣を執る戦友”!! ――捕まえて!!」
 
 術を紡ぎ終えると同時に現れる坊やと同じ姿をした風の中位精霊が8体。
 ――いや、ソレは存在的には死神と言ったほうが近いかもしれない。
 姿形こそ坊やのソレだが、その手に持つ獲物は死神の名に違わず物騒な事この上ない。
 片手剣、大剣、双剣、首切り刀、大鎌、突撃槍など様々だ。
 ソレが一斉に襲い掛かって来た。
 
「……ちっ、中位とは言え、数が多いと厄介だな」
 
 上下左右、様々な方向からの多角攻撃。
 それにぼやいて魔法薬をばら撒く。
 それによって精霊の半数以上を迎撃できたが、それを逃れた三体が追撃をしてくる。
 
「くそっ!」
 
 舌打ちして更に魔法薬を投げつける。
 左から襲い掛かる精霊を迎撃して……残り、二体!
 が、
 
「追い詰めた! これで終わりですっ! ――”風花・武装解除”」
 
 油断した。
 精霊に気を取られた過ぎて、坊やが目の前に回りこんでいたのに気が付かなかった。
 瞬時に触媒を取り出そうとするが、ソレより速く魔法が襲い掛かり持っていた魔法薬やマントなど全て弾き飛ばされてしまう。
 しかしここは――。
 
「……ふん、やるじゃないか先生」
 
 建物の屋根の上に降り立ち坊やを見据える。
 
「こ、これで僕の勝ちですね。約束通り教えてもらいますよ……何でこんな事したのか。それに……、お父さんの事も」
 
 片手で顔を抑えながらこちらに顔を向ける。
 武装解除の魔法によって全てを飛ばされた私は下着姿なので、それに配慮でもしているのだろうか。
 子供の癖に小賢しい……。
 
「お前の親父、すなわち……『サウザンドマスター』のことか……ふふ……」
「――! と、とにかくっ! 魔力もなく、マントも触媒もないアナタに勝ち目はないですよ! 素直に――」
 
 ……笑わせる。
 この程度で勝敗が決すると思っているのか。
 これからだと言うのに――。
 
「……これで勝ったつもりなのか?」
 
 背後に気配。
 振り返るまでも無い。
 隣に降り立つ背の高い人影――茶々丸だ。
 突如表れた茶々丸に驚きの表情を浮かべる坊や。
 
「さあ、お前の得意な呪文を唱えて見るがいい」
「っ! ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 風の精霊11、」
 
 すぐ目の前に敵がいるというのに暢気に呪を紡ぐ。
 ――馬鹿が。隙だらけだ。
 だが、これで全て分かった。
 この坊やは魔力こそあるものの、使い方がまるでなっちゃいない。
 しかしそれは好都合だ、これほどの魔力を有しているならば、呪いの解呪には十分だろう。
 そして、2対1という状況下においても誰も現れないと言う事は、『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』もいない。
 茶々丸に顎で指示を出すと、瞬時にそれを悟り坊やの詠唱を中断させる為にでこピンをした。
 
 ――こらっ、口の中に物入れながら喋らない――
 
 
「…………っ!」
 
 ――くそっ、まただ。
 些細な事にすらあの馬鹿を連想させる。
 
「……紹介をしよう。私のパートナー、3−A、出席番号10番。――『魔法使いの従者』、絡繰茶々丸だ」
「え……なっ! ええーーーっ!? 茶々丸さんがアナタのパートナー!?」
「そう言う事だ。パートナーのいないお前では私には勝てんぞ」
「なっ……、 パートナーくらいいなくたって……、風の精霊11人……」
 
 この期に及んでまだ状況が理解できていないのか……。
 茶々丸は坊やの詠唱を中断させる。
 それでも諦めないのか、何度も詠唱を試みるがその悉くを茶々丸は止める。
 その程度すら理解出来ていないのか……。
 ため息にも似た感情が出るのがわかる。
 
「――理解していないようだから教えてやる。元々、『魔法使いの従者』とは戦いの為の道具だ。われわれ魔法使い呪文詠唱中、完全に無防備となり、その間、攻撃を受ければ呪文は完成できない。そこを盾となり剣となって守護するのが従者本来の使命だ。つまり……パートナーのいないお前は、我々二人には勝てないということさ」
 
 やはり知らなかったのだろう。
 坊やは面食らったような顔で震えている。
 ――所詮は子供か……。
 
「――茶々丸
 
 坊やを指差すと茶々丸は無言でコクリと頷いた。
 
「申し訳ありません、ネギ先生。マスターの命令ですので」
 
 茶々丸は瞬時に間合いを詰め、坊やの首を背後から締め上げ動きを封じる。
 
「……ようやくこの日が来たか。お前がこの学園に来てから今日という日を待ちわびていたぞ……。お前が学園に来ると聞いてからの半年間、ひよっこ魔法使いのお前に対抗できる力をつけるため危険を冒してまで学園生徒を襲い血を集めた甲斐があった……。これで奴が私にかけた呪いも解ける」
「え……、の、呪い……ですか?」
 
 ……ふん、やはり知らなかったか。
 
「そうだ、真祖にして最強の魔法使い。闇の世界でも恐れられた……この私がなめた苦汁……」
 
 感情が昂る。
 暗い感情が灯る。
 さっきから情緒が安定しないのがわかる。
 
「――私はお前の父。つまりサウザンドマスターに敗れて以来っ、魔力も極限まで封じられっ! 15年もの間! あの教室で日本の能天気な女子中学生と一緒にお勉強させられてるんだよっ!!」
 
 気が付けば私は、坊やに詰めより、首を締め上げていた。
 感情が上手く制御できていないのと同様に、力加減も上手く出来ない。
 ギリギリ、と強く締めすぎたのか坊やは「――か、っは」と息を止めた。
 それでやっと我に返り手を離す。
 
「そんな……僕、知らな……」
 
 坊やはせき込みながら弁解をしている。
 
「――それこそ私の知った事ではない。この馬鹿げた呪いを解くには、奴の血縁たるお前の血が大量に必要なんだ。奴の残した罪は息子である貴様に償ってもらう――」
 
 言って、坊やの首筋に顔を近づけた。
 無論、これだけでは意味が無いのはわかっている。
 今、血を吸っても解けるのは”登校地獄の呪い”だけで、それだけではここから抜け出す事は叶わない。
 私の力を封印している結界をどうにかしなければ意味は無いのだ。
 やるなら二つ同時に。
 でなければ、魔力を封じられたままの私ではジジィに捕まってしまうからだ。
 今回の目的は坊やの中に私の呪いを解呪出来るほどの魔力があるか、それを調べる為のものだったのだ。
 だからここで血を吸っても意味はない。
 ……意味はないのだが。
 
「……悪いが死ぬまで吸わせてもらう……」
 
 ようは八つ当たりだった。
 やり場の無いイライラを、何でもいいからぶつけたかっただけなのだ。
 ……平和ボケしている坊やの顔が恐怖に歪むのが見たかった。
 そうやって、坊やの首筋に狙いを定め口を開いた。
 その瞬間だった、
 
 
 ――エヴァを信頼している――
 
 
「――…………ッ!!」
 
 止まってしまった。
 口を開いたまま、寸前で止まってしまった。
 
 
 ――いい加減にしろ!!!
 一体何処まで私を苛めば気が済むのだっ!? 貴様は消えろ、邪魔するな、二度と私の前に姿を現すな!
 私は貴様の事などどうでも良いのだッ――――衛宮士郎!!!
 
 
「……コラーーッ! この変質者どもーーーっ!!」
 
 その声に固まっていた身体を動かし、後ろを窺って見る。
 瞬間、
 
「――ウチの居候になにすんのよーーーっ!!」
 
 ガン、という激しい衝撃と共に身体が横に弾け飛んだ。
 馬鹿なっ!?
 最盛期に比べて遥かに劣っているとは言え、今の私の魔法障壁を抜いてくるなど!?
 慌てて新たな障害を睨む。
 
「――なっ! か、神楽坂明日菜!!」
「あっ、あれーーー?」
 
 その人物は神楽坂明日菜だった。
 二人顔を見合わせて驚く。
 ……あり得ない。普通の人間であるはずの、こんな小娘一人にこうも易々一撃を入れられるなど――!
 
「アンタ達ウチのクラスの……、ちょっ、どーゆーこ事よっ!? っ! ま、まさかアンタ達が今回の事件の犯人なの!? しかも二人がかりで子供を苛めるような真似して――答えによってはタダじゃ済まないわよ!!」
 
 ……ちっ、予想外だ。
 まさかこんな伏兵が潜んでいようとは予想だにしなかった……。
 しかし、すでに目的は果たしている。
 潮時か。
 
「――茶々丸、引くぞ」
 
 言って屋根から飛び降りる。
 
「あっ! ちょっ、ちょっと……!?」
 
 追い縋ろうとする神楽坂明日菜の声を無視して落下する。
 その声は一瞬で聞こえなくなった。
 地面に着く前に茶々丸が私を腕に乗せ、宙に舞う。
 
「思わぬ邪魔が入ったが……、予定に変更は無い。坊やがパートナーを見つけていない今がチャンスだ。――覚悟しておきなよ先生……」
 
 夜空に浮かぶ真円の月を見上げる。
 黒いキャンパスに描かれた白い月がまるで落とし穴のよう。
 ジッと見つめていると、空の落とし穴に落下するような錯覚が現実感を曖昧にさせる。
 
 ――気に入った。我が名はエヴァンジェリンエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。貴様の名を聞こう、人間――

 ――士郎。衛宮士郎だ――
 
 
 ギリ、と強く歯をかみ締める。
 暗い感情が意識を覆い尽くしてしまいそうだ。
 
「……マスター?」
「――何でもない、帰るぞ」
 
 夜空を駆け、自宅へと帰る。
 待つ者のいなくなった、迎える者のいないあの家へ――
 
 そして虚空に手を伸ばしてみても、
 

 ――行こう、エヴァ。そろそろ俺もお腹が空いた、皆でご飯を食べよう――
 
  
 ……手は空を切るだけだった。