第22話  停滞の時


 士郎さんが家を出て行って数日。
 アレ以来、士郎さんが家にやって来る事も、マスターから店に出向く事も無かった。
 一度も顔を合わせてはいない。
 マスターは表面上、士郎さんと出会う以前と変わりないように振舞ってはいるが、ふとした拍子に何かを思い出してはイライラを募らせているように見える。
 食事をしている時、お茶を飲みたくなった時、それこそ数え切れない。
 その節々で何を思い出しているか――そんな物、考えるまでも無い。
 
「――ネギ・スプリングフィールドに助言者がついたかも知れん。しばらく私の側を離れるなよ」
 
 茶道部部室からの帰り道。
 この日も、茶道部の部室でお茶を飲んでいたのだが、全く落ち着きが見られず、お茶に集中しているようには見えなかった。
 感覚的に反応がいつもより遅いのだ。
 
「……はい、マスター」
 
 マスターは士郎さんの話を決してしない。
 あからさまに避けていた。
 本当にこのまま、今までの月日が無かった物になってしまうのだろうか……。
 士郎さんが現れてからの数ヶ月。
 マスターも最初は、それこそ新しい玩具を見つけたような、何処か暇潰しをしているだけの様にも窺えた。
 ――けれど、数日。ほんとに短い時間だっただろう。
 その片手で数える事が容易なくらい短い期間で――変わった。
 マスターは、ある日を境に士郎さんをいつも気にかけるようになっていた。
 士郎さんが店の準備をしている時は、学校の授業が終わるとすぐに手伝いに向かい、『別荘』で士郎さんの制服を作っている時は、時間などそれこそ幾らでも取れるだろうに、睡眠の時間すら惜しんで作り続けていた。
 時間、材料、技術、設備。
 全ての面で出し惜しみなど微塵も考えてなどいないように見えた。
 士郎さんには伝えていないが、あの大きな赤いルビーをあしらった紐ネクタイ、その赤いルビーは規格外の能力を持った魔法のアイテムであり、マスターにとっても、最後の手段と言える程の力を持っていたのだ。
 マスターがそれを使用すると言った時に、私も少なからず動揺したのだ。
 それは、マスターが収拾した数多の財宝の中でも、3本の指に入るくらいの価値があると自慢していたのを思い出したからだ。
 けれども、マスターはそれを嬉しそうに使用し、紐ネクタイを完成させ、士郎さんにそれを贈った。
 店が完成すると毎日のように……、まるでそれが当然であるかのように足しげく通い詰めては一緒の時間を過ごしていた。
 家には色々物が増えた。
 士郎さんのお茶碗や湯飲みといった食器類。
 士郎さんがマスターに頼んで集めてもらった様々な書物。
 士郎さんの為に用意された救急箱。
 ――ああ、そう言えば救急箱を用意した際に「……血の味の付いた料理など食べたくは無いからな」と言って用意した糸や針、更には強力な鎮痛、止血作用のある魔法の薬や、増血作用のある怪しげな薬など、集められた数々の薬品類。
 その時は料理で一体どれほど血を流すのだ、と士郎さんが笑ってはマスターに怒られていたものだ。
 その全てでマスターの表情は――楽しそうだった。
 士郎さんが来てからという物、表情が多彩に彩られるのを私は間近で見続けてきた。
 笑い、怒り、哀しみ、時には拗ねて。
 こんなに色々な表情をするマスターを私は見た事がない。
 二年間、共にいる私が見たことも無かった表情を、士郎さんはほんの数ヶ月で引き出した。
 そして、士郎さんは人間ではない私に対しても優しく接してくれていた。
 まるで当然のように私に食事を進め、人間と同じ扱いをした。
 それは困った事であり、同時に――嬉しくもあった。
 私に重い物は持たせられない、と荷物を全て持ってくれたり。
 マスターの為に奉公をするのが当然の私を、良い子だと褒めて撫でてくれたり。
 ――まるで、人間の少女にそうするかのように。
 異なる世界から来て、御自分の方が大変だろうに、いつも私達を第一に考え行動してくれていた。
 …………けど、今はもうそれが無い。
 それまでの空気が、夢物語のように遠く感じられる。
 マスターは表情を堅くし、私もただ淡々と与えられた使命を果たしていた。
 以前まではそれが当然であり、日常だったのに、今はそれに耐え難い違和感を覚える。
 それほど私達を取り巻く空気は一変してしまっていたのだ。
 
「……おーい、エヴァ
 
 マスターを呼ぶ声がする。
 そちらを見てみると、高畑先生がこちらに向かって手を振っていた。
 私はそれに礼をして応えた。
 
「――何か用か」
 
 憮然と応えるマスター。
 それはいつもより棘のある対応にも見えた。
 
「学園長がお呼びだ。一人で来い、だってさ」
 
 ――学園長先生からの呼び出し。
 もしかしたらこの間、ネギ先生を襲った件かもしれない。
 
「……分かった。すぐ行くと伝えろ。――茶々丸、すぐ戻る。必ず人目のある所を歩くんだぞ」
 
 マスターはこちらを向き、そう忠告すると高畑先生と二人で行ってしまう。
 その後姿に、まるで似てもいないのに、何処かマスターと士郎さんが並んで歩いているようにも見えた。
 
「――お気をつけて、マスター」
 
 聞こえはしないだろう。
 小さく呟き、小さくなる背中を見送った。
 私はマスターと別れて、日課であるネコ達の餌やりに、いつもの場所へと足を向けた。
 
「――士郎さん……私達はもう、このままなのでしょうか……」
 
 目的の場所へと向かう道中。
 川原の側を歩きながら一人呟く。
 世間では桜が春を謳歌するかのように咲き誇っているというのに、私達を取り巻く環境はまるで逆のように思える。
 しばらく道なりに進んでいると、小さな女の子が泣いているのを見つけた。
 上を見上げてみると、風船が木に引っかかっているのが見える。
 
「…………」
 
 私は無言で飛び上がり、それを手に取る。
 女の子はそれに少し驚いたようだが、風船を手渡すと一転して笑顔に変わった。
 
「お姉ちゃん、ありがとー」
 
 満面の笑みで受け取って私を見上げてくる。
 感謝されるでもなく、当然のコトだと思った。
 私を生んでくださった人間の方々に礼を尽くすのは当たり前だと。
 ……けど、士郎さんだったらこんな私を良い子だと言ってまた褒めてくれたりするんだろうか。
 いや、もしかしたら女の子にそんな事させられないと言っては、御自分で木によじ登って服を汚しながら取ってくれたりするのかもしれない。
 あの人はそういう人なのだ。
 
「バイバーイ」
 
 可愛らしく手を振る女の子に、手を振り返してその場を離れる。
 
「あ、茶々丸だー!」
茶々丸ー♪」
 
 何処からか小さな二人の小さな男の子が私目掛けて走ってきては、私の周りをクルクル回るように走り回っている。
 良く見ると何度か見た事のある男の子達だった。
 それに礼をして向かい入れると、再度目的の場所へと足を向ける。
 少しの間、男の子達と話をしながら歩いていると、歩道橋を苦労しながら上っているお婆さんを見かけた。
 
「お婆さん、宜しければ――」
 
 当然、私はお婆さんの力になるべく、お婆さんを背負って歩道橋を渡って向こう側へと渡る手助けをする。
 お婆さんは「あら、あら」と恐縮してしまうような感じを見せたけれど、この程度のこと私を受け入れてくれるアナタ方に対する感謝に比べれば、まだまだ足りないくらいだ。
 お婆さんと別れまた歩く。
 男の子達は私に「空とんでよー」「乗せてよー、茶々丸ー」と言うが、それは危険でもあるし万が一も事があっては大変なのでやんわりと諭すように断った。
 不意に喧騒のようなものが聞こえる。
 前を見てみると人だかりが出来ていて、川の流れを見ている。
 けれど只、流れを見て楽しむにしては様子がおかしい。
 疑問に思い視線が集まる場所を確認してみる。
 と、
 
「――いけませんっ」
 
 川の流れに乗って小さな箱が、いや、正確には箱の中に入った子猫が流されていた。
 慌てて川に入って流されていく箱を捕まえる。
 すると、子猫は私を見上げて、にゃー、と鳴いた。
 ……良かった。箱も浸水していないし、子猫も怪我はないようだ。
 箱を慎重に抱え上げて陸へと帰る。
 それを見ていた皆さんは私を拍手で迎えてくれた。
 それはとても嬉しい事なのだが、称えられる程の行為なのだろうか?
 この子を含めて人間の方々の命は掛け替えのないものだ。全てにおいて優先される尊いものだと思う。
 私のような人工的なモノとは違って替えは効かないのだから。
 ……そこで、また思う。
 士郎さんなら、こんな私の言い分を叱るのかもしれないと。
 あの人は、とても優しい人だから、人間の方々と同列に扱い、そんな風に言う私を真剣に叱り付けてくれるのかもしれない。
 
 その場を後にして、寮に帰るという男の子達の背中を見送る。
 遠くで手を振っているのが見えたので振り返して応えた。
 すると、遠くで鐘の音が響く、リンゴンと言う音が聞こえる。
 ……いけない。いつもより遅れてしまった。猫達もお腹を空かせて待っているだろうか。
 少し早歩きで道のりを急ぐ。
 先程助けた子猫は私の頭の上が気に入ったのか、落ちることも無くノンビリとそこに乗っていた。
 きっとあの猫達もこの子を受け入れてくれるだろう。
 いつもの場所に着くのと同時に、建物の影から猫達が顔を覗かせた。
 一匹出てくると、二匹三匹と続々と集まり、私の足に摺り寄ってくる。
 ……うん、今日も皆いる。
 エサを入れる容器にネコ缶の中身を移す間、猫達は大人しくそれを待っている。
 子猫も私の頭から降りるとエサを待つネコ達の輪に加わった。
 良かった、やっぱり受け入れてもらえた。
 最初は受け入れてくれなかったらどうしようかと思ったが、杞憂に終わって良かった。
 
「さ、お食べ……」
 
 私が言うと猫達は一斉に容器に顔を突っ込み、食べ始める。
 皆、ケンカもしないで行儀良く元気に食べている姿を眺める。
 
 ――家族なんだろう? 理由なんてそれで十分だ。
  
 思い出すのは士郎さんと出会ったばかりの出来事。
 ガイノイドだから食事を取る必要は無いと言った私に、士郎さんは家族だからと言う理由で食卓に座らせた。
 ――嬉しかった。
 作り物である私を、何の疑問も抱かずに家族と言ってくれた言葉が、何よりも――嬉しかった。
 マスターのお世話を士郎さんと一緒にするのが楽しかった。
 士郎さんは、マスターに対していつも粗雑とも取れるような、気ままな態度を取っていた。
 マスターはそれを最初こそ苛立たしげに思っていたようだが、次第にそんな気ままな士郎さんだからこそマスターも気ままに話すようになっていた。
 私もそんな御二人を見ているのが好きだったのに、なんで……。
 
「…………」
 
 にゃー、という鳴き声で我に返ると、足元にネコが一匹身体を摺り寄せていた。
 容器を見ると、沢山あったエサが綺麗に無くなっていた。
 もしかすると結構長い時間呆けていたのかもしれない。
 ゴーン、と鐘が鳴る。
 それを合図にしたかのように猫達は身を寄せ合って帰っていく。
 
「おやすみなさい、また明日」

 それを見送り容器を片付ける。
 ――と、背後に人の気配があった。
 
「――こんにちは、ネギ先生、神楽坂さん」
 
 驚きは無かった。
 以前はこちらから襲った相手だ、逆にこちらが狙われる可能性だって十分ある。
 しかし――どうやら、かなり物思いに耽っていたらしい。
 この距離まで接近を許すとは…………。
 マスターの忠告が今更ながら身に染みる。
 
「……油断しました。でも、お相手はします……」
 
 自分達から仕掛けておいて攻めてくるな、などと甘いことは言わない。
 仮にも命を狙ったのだ、逆に自分が破壊される覚悟は最初からしている。
 
茶々丸さん、あの……僕を狙うのはやめていただけませんか?」
 
 懇願するような瞳でネギ先生は訴えかける。
 そのような瞳を見ると心苦しく感じるが……。
 
「……申し訳ありません、ネギ先生。私にとってマスターの命令は絶対ですので」
 
 心からの謝罪と共に、ネギ先生の願いに頭を下げる。
 
「ううっ……仕方ないです……。では、茶々丸さん」
「……ごめんね」
 
 ……謝らないで欲しい。
 元はと言えばこちらから仕掛けたのだから、本来ならネギ先生や神楽坂さんにはなんの罪はないだろうに。
 私は、はい、とだけ答え、ネコ達のエサの容器が入った袋を地面に置く。
 
神楽坂明日菜さん……、いいパートナーを見つけましたね」
 
 この間の身のこなしを見る限り、素人であるにも関わらず鋭いモノがあった。
 なるほど、彼女なら不足はないだろう。
 
「――行きます! 契約執行10秒間!! ネギの従者『神楽坂明日菜』!!」
 
 瞬間。
 神楽坂さんが弾かれるような勢いで接近するのと同時に迫り来る右の手!
 『仮契約』による身体能力の向上分を加味したとしても、予想を遥かに上回る速度。
 ――予想戦力の上方修正。
 私は咄嗟に左手を振って、私を捉えようとする右手を弾く。
 続けざまに左手が私の顔を目掛けて放たれる。
 それを右手で払いのけようとする。
 が、
 
「――えいっ!」
 
 修正した戦力を更に上回った!?
 迫る左手に防御の手が間に合わない。
 かわせると判断した私の額に指先がかすり体勢が崩される。
 
「はやい! 素人とは思えない動き――っ!?」
 
 視界の端にネギ先生を捕らえた。
 アレは……いけない!!
 
「――光の精霊11柱……―ー集い来たりて……」
 
 攻撃呪文!
 ネギ先生の周囲に、淡い光を放ち漂う光球がいくつも現れる。
 私は慌てて、張り付く神楽坂さんの足を払い、回避を――。
 
「――”魔法の射手・連弾・光の11矢”!!」
 
 『追尾型魔法、至近弾、多数――』
 ……無駄だと判断した。
 どんな状況下であろうと、私に搭載された量子コンピューターが瞬時に判断を下す。
 たとえ最悪の結果であろうと冷静に――事実だけを下す。
 恐怖は無い。
 元々、私にそのような感情がプログラムされている事すら分からない。
 でも最後に、只、思った――。
 
「――すいません、マスター。もし、私が動かなくなったらネコのエサを……」
 
 …………そして、願わくば。
 
 ――士郎さん、どうかマスターを一人にしないで上げてください。
 
 迫り来る破壊の光を眺め、そう、願った。
 光の向こうには、何かに驚くように私から視線を逸らすネギ先生と神楽坂さんの姿。
 けれどそんな物に関心は無い。
 そして…………、
 
 
 
 
 ――私は弾き飛ばされ、地面に転がったのだ。