第20話  その身に秘めたるモノ

 
 
 ――これは尋常の勝負だ。
 ピリピリと張り詰めた空気の中、俺とエヴァは対峙していた。
 数手、数十手先の展開を読み合い、潰し合う。
 ほんの僅かな心の隙に付け込んで、相手を揺さぶり、動揺を誘う。
 
「――士郎、お前がここまでやるとはな。惚けた面していながらやるじゃないか……」
「……ふん、そういうお前は全然大したこと無いな。どうした? それが真祖の実力か?」
 
 一瞬の隙をついて脇をすり抜ける。
 すると彼女は不適に微笑んだ。
 
「面白い……この私をコケにするとは……。ならばコレに耐えられるか――!」
 
 放たれる魔弾。
 その速さはこちらのスピードより数段上。一瞬にして離れた距離をゼロに縮め襲い掛かってくる。
 
「……くそっ!」
「ハハハッ、いかにお前とてこれは無傷で済むまい!」
 
 エヴァは勝利を確信し高笑いを挙げた。
 が、
 
「――なんてな」
 
 寸前で跳躍する事によりそれをかわす。
 
「――な!? バカな! 今のをかわすとは……お前ッ!」
「これが最後だ……エヴァ、止めを刺してやる――」
 
 決別の時が訪れる。
 俺は万感の思いを込めて、
 
「――くそっ! 私はまだ、」
 
 無常にも引き千切った。
 
『YOU WIN~~♪』
 
 ――まあ、TVゲームな訳なのだが。
 パンパカパーン♪ と、軽快な音楽が流れる。
 
「ぬあ~~~ッ! また負けた!? 士郎、何故最後のをかわせる!」
「……いや、だって……エヴァ自分で宣言するし……」
 
 二人並んでテレビの前に陣取ってやっていたのはカーレースゲーム。
 対戦相手を色々なアイテムを使って妨害しながら競うゲームだ。
 エヴァは少し意外なことにゲームもやるらしい。ソフトの数もそこそこある。
 実際やってるだけあって結構上手かったりもするのだが……如何せん対人戦に慣れてない。
 俺だってそんなに上手いわけではないのだが、さっきみたいに撃つタイミングを自分で宣言しては誰だってかわせるのである。
 
 何故、珍しくも昼間からこんなコトをやっていたかと言っても、別に大した理由ではない。
 今は学園も春休みで、俺もお店の定休日だ。
 それならどこかに散歩でも行こうかと思ったのだが、先程から振り出した雨が思いの他強く、俺達を家の中に釘付けにしていた。
 まあ所謂、単なる暇潰しに他ならない。
 
「……マスター、士郎さん。お茶がはいりました」
 
 トン、と茶々丸が目の前にお茶を置いく。
 今日は番茶にお茶請けの煎餅…………なんだろう、すっごい和む。
 
「御二人に一つお聞きしたいのですが……よろしいですか?」
『ん~?』
 
 エヴァと二人、お茶を啜りながらのほほんと答える。
 緩みまくりである。
 
「あの、先程から気になっていたのですが……。――何故ゲーム中に体が傾いて行くのですか?」
『…………』
 
 エヴァと二人、これまた同時に目を合わせてパチクリ、瞬かせる。
 
「……俺、やってたか? そんなの」
「……私もか? そんな覚えは無いのだが……」
「――自覚は無いのですね」
 
 「なるほど……」と、茶々丸が感心するように言う。
 ……え、そんなことで感心されても。
 
「御二人共コーナーで曲がるたびに、こう……段々身体が傾いているのです」
 
 茶々丸はそう言うと、段々と体が横に倒れていくさまを表現して見せた。
 なるほど……、他人がやるのは見たことがあるが自分もそうだとは思わなかった。
 ちょっと恥ずかしい。
 
「ま、まあ……なる人はなっちゃうみたいだから、どうしようもないクセみたいなもんだ」
 
 ……多分間違ってはいないと思う。
 
「なるほど、『クセ』ですか……」
 
 ちなみに茶々丸はゲームが無茶苦茶強かった。
 例えば、先程のレースゲームをやらせてみれば常に最短、最速のコースでちっともミスなんかしない。
 なんて言うか、百回やっても勝てる気がしない。
 
「ああ~、レースゲームは駄目だな。RPGでもするか……」
 
 エヴァはガサゴソとソフトを入れ替える。
 流石にRPGともなれば俺はやる事は無いので、煎餅をバリバリ食べながらエヴァのプレイを眺めているだけだ。TV画面からは軽快だが単調な音楽が流れ続けている。
 時たま敵モンスターとエンカウントしてはまた戻るといったことの繰り返しだ。
 
「――しかし、俺、思うんだけどさ……」
 
 何の気なしに、煎餅をバリボリ食べながら聞いてみる。
 それにエヴァは画面から視線を逸らさないまま「ん~?」とやる気無く答えた。
 
「この手のゲームの主人公って、人の家に勝手に入って箪笥あさったり、宝物持って行ったり……。やってる事が物語の主人公にあるまじき行為だよな……」
「…………お前もしょうも無い事を気にする奴だな」
 
 や、正義の味方としてそこは譲れないのですよ?
 
「そんな事言ったらアレだろう。ゲームに出てくるラスボスは、自分がやられるかも知れないと分かった時点で、さっさと自分で主人公達を倒しに行けば済む話だろう」
「……なるほど、ようはソレを言ったら見も蓋も無い、ってことか」
「そんなもんだ」
 
 俺はふーん、と適当に相槌をうってお茶を啜る。
 まあ所謂お約束ってヤツなのだろう。
 たしかに、物語が始まったら相手はイキナリラスボスとか言われたらヤル気もへったくれもないのである。
 てな具合に、俺が本当にどうでもいい事を考えながら、ボーッとエヴァのプレイしているゲームを眺めていると、カランコロン、と玄関に取り付けられたベルが、来客を知らせる音を鳴らした。
 
「誰か来たみたいだな」
「ふーん……」
 
 ――全く興味なし。
 自分の家なんだから、エヴァのお客さんと言う可能性は非常に高いと言うのに、ここまで無反応とは。
 これはこれで凄い。……見習いたくは無いけど。
 で、まあ当然女の子の家のお客さんに俺が出るわけにもいかないので、茶々丸が当然の如く来客の応対をする訳である。
 が、
 
「――士郎さん、お客様がお見えです」
「え……俺にか?」
 
 これは珍しい。
 俺を訪ねて誰かが訪れるとは初めてのことではないだろうか?
 誰だ? 俺がここに住んでるって事知ってるヤツなんてほとんどいないのに……。
 
「あ、士郎さん。今朝方振りです」
 
 って、刹那だった。そりゃ知ってるわな。
 そもそも茶々丸も初めから刹那だって教えてくれれば良かったのに……。
 
「おう、どうした。ここに来るなんて……珍しいな?」
 
 刹那とは訓練で毎朝顔を会わせてはいるが、ここに来るのは、それこそ最初の時を含めて2度目だった。
 
「申し訳ありません、突然押しかけたりして。――ご迷惑ではなかったですか?」
「いや、全然。暇してたから……」
 
 ……ええ、そりゃー、もう。
 まったりくつろぎまくってたくらいだからな。
 
「――ぬああ!? こ、これはっ!!」
 
 と。
 エヴァが素っ頓狂な声をあげて騒いでいる。
 何だと思いTVを見て…………納得。
 なるほど、エヴァが今ゲームで戦っている敵キャラは、経験地やお金が沢山貰える代わりに、すごく逃げ足が速くて防御力も滅茶苦茶高い、と言うボーナスキャラみたいなモノだ。それが一気に画面一杯に出たときの興奮は分からんでもない。
 
「……何事ですか?」
「気にしないでくれ、アレも一応正しい暇の過ごし方の一つだから」
 
 はあ、などと曖昧に頷く刹那。
 まあ、それ以上の反応のしようもないんだろうけど。
 
「で、どうしたんだ?」 
「ああ、そうでした……あの、もし宜しければ稽古をつけていただければ、と思い、来たのですが……どうでしょう?」
 
 ああ、そう言うコトか。
 それなら丁度良い、俺も暇を持て余してたところだ。
 
「ああ、いいぞ。俺も身体動かしたかったし」
「そうですか、ありがとうございます」
「じゃあ早速……って、外は雨だったな。どうしたもんか……」
「あの……士郎さんさえ宜しければ、私は雨の中だろうと構いませんが」
「馬鹿、そんな訳いくか。俺は良いとしても、刹那にそんな無茶させられるかってんだ。風邪ひいたら大変だろう」
「……お気遣い感謝します。しかし、そうなると何処で?」
 
 刹那が首をかしげながら言う。
 場所か……外は論外だし座学って訳にはいかないし……って。
 
「――そう言えば良い場所あるじゃないか。なあ、エヴァ。『別荘』使いたいんだけど……いいか?」
 
 ゲームに没頭するエヴァの背中に声をかける。
 考えてみれば『別荘』なら鍛練には持って来いなのだ。
 時間も天気もたいして気にならない場所だし。
 
「――――」
 
 ゲームに夢中なのだろう。
 こちらを向かずにパタパタと手だけを振って返事をするエヴァ
 どうやらお許しが出たらしい。
 ……あと、どうでも良いけどな。
 良い場面だしゲームに集中するのは全然構わないんだけど…………エヴァ、まばたき位しよう。
 ドライアイになってしまう真祖ってどうなんだって思うわけよ、俺は。
 
「うし、じゃあ『別荘』でやるか」
「わかりました」
 
 刹那と二人、ゲームに集中するエヴァの背中を通り抜けて地下への階段を降りる。
 それにしても考えれば考えるほど便利な場所だよな、『別荘』って。
 入ったら丸一日出てこられないのは難点だけど、ソレを補って余りある程利便性が高い。
 なんと言っても個人でプール所有、なんてレベルじゃないのだ。
 海まるごと所有っていうんだからスケールが違う。
 それに、エヴァの話を聞く限りでは、あんな物が他にもゴロゴロ転がっているらしい。
 
「そう言えば士郎さんはここに住んでいるんでしたね?」
「ん? ああ、そうだけど」
 
 階段を降りながら刹那が聞いてくる。
 
「だとしら何処で寝泊りしているのですか? 聞いた話ではエヴァンジェリンさんの部屋は二階にあるそうですが。……はっ! も、もしや――士郎さんの部屋もそこに!?」
「んな訳あるかっ!」
 
 馬鹿を言っちゃいけない。
 エヴァの部屋の隣に和室はあるけど、そんなトコだと俺が寝れないのです。
 
「俺の部屋は……ほら、そこだよ」
「…………そこ……と、言われますと?」
「いや、だからそこ」
 
 ほら、と指差してみる。
 そこには地下室の片隅に置かれた俺の空間。
 ベットに本棚にバック。
 以上。
 うん、シンプルイズベストだ。
 
「こ、……ここがですか……」
「そう、良い所だろ?」
 
 地下だと言うのに空気が篭もっておらず、埃っぽくも無い。
 更に地下と言うのは年間を通じて気温の変化が少なく、何気に過ごしやすかったりするのだ。
 と言っても、俺は寝る時以外ほとんどいないんだけどな。
 
「……。あの……荷物が無いんですが……」
 
 刹那が変に言葉に詰まっている。
 ……なんでさ。
 
「あるだろ。ほら、そこにちゃんと着替えの入ったバックに本棚だってあるし」
 
 元々物を部屋に置く習慣がなかったんで、俺としては本棚があるだけで十分なんだが……。
 だが、それを聞いた刹那は何を思ったのか、驚く顔をすると妙に真剣な顔をして、
 
「……。あの、失礼な事をお聞きしますが。――もしや、虐待を受けていたりするのですか?」
 
 なんて聞いてくる始末。
 ――や、変な勘違いされてるっぽい。
 
「――馬鹿を言うな桜咲刹那。それは士郎が過剰にモノを必要としなかっただけだ。私が準備すると言ってもそいつは聞かなかったのだ」
 
 頭上から声がかかる。
 見るとエヴァが階段をトントン、と降りてきていた。
 その背後には茶々丸の姿も見て取れる。
 
「あれ? エヴァ茶々丸
「あ、エヴァンジェリンさん! こ、これは失礼しました!!」
 
 エヴァに話の内容を聞かれて焦りまくる刹那。
 ……そんなに焦ること無いと思うんだけどな、エヴァってそんなに怖いか?
 って、そんな事より。
 
「どうしたんだ? ゲームやってたのに」
「…………。あんな子供遊びなどどうでもいいのだ。私は暇潰し程度に遊んでいただけなのだからな……」
 
 まるで大量の苦虫を噛み潰したように言うエヴァ
 大方、ボーナスキャラに全部逃げられて面白くなかったんだろう。
 
「……ふん。そんな事より鍛練をするのだろう、今日は私も見てやる。ありがたく思え」
 
 不貞腐れた様に鼻を鳴らし、俺達の脇を通り抜け、さっさと『別荘』に向かう。
 刹那はエヴァの尊大な言い回しにも「あ、ありがとうございます!」と心底恐縮してしまっている。
 ……ったく、エヴァも変に偉そうなんだから。
 
「はいはい、じゃあ皆で行こうか。ほら、刹那。いつまでも恐縮してないで行くぞ」
「は、はい!」
 
 刹那が慌てるように追いついてくる。
 そして、全員で同時に『別荘』の中に入ると一気に風景が変わった。
 
「……相変わらず暑いな……ここは」
 
 まだ春先と言うコトもあって着ている物はロングTシャツにジーンズ。
 南国のそれと変わらないここの気温では流石に暑い。
 
「元々私がリゾートとして使用していたのだから当然だ。それにしても士郎。その大荷物はなんなのだ?」
 
 そう言うエヴァの格好は、いつの間に着替えたのかノースリーブのセーラー風シャツにプリーツのミニスカート、それにオーバニーソックス。
 全体的に白を貴重とした格好だが、ネクタイだけは黒というのがアクセントになっている。
 
「ああ、これか? これは鍛練に使う竹刀と、何かに使うかも知れないから持ってきた弓と矢」
 
 それに腕まくりしながら答える。
 弓は以前に投影した物を消さずに取っておいたモノだ。
 
「……そういえば以前戯れに打ち抜かれたことがあったな……あのときの物か。……まぁ、それはいい。普段、お前等はどんな鍛練をしているのだ?」
 
 中央にある広場めいた場所に向かって歩きながら話す。
 
「私達の普段の鍛練といえば、大体が手合わせをして、それが終わった後に士郎さんが修正点などを指摘して下さる、と言った感じでしょうか……」
「ん、まあそんな感じだな」
 
 指摘、などと言ってもそんな大した事を言ってはいない。
 俺は気が付いたことをなんとか言葉にしていているだけなのだが、それがちゃんと伝わっているかすら怪しいもんだ。
 こういう時、もっと考えている事を明確に言葉にできるだけ口が回れば、としみじみ思う。
 ……って、そうだ。
 
エヴァ、お前も一緒に見てくれよ。俺、誰かに教えるって言うの苦手でさ。どういう風にすれば上手く教えられるか見せてくれよ」
 
 考えてみればこんな身近に良い例がいるじゃないか。
 何気に面倒見が良くて、こっちの世界の戦い方に詳しそうなヤツが。
 
「――私がか? 嫌だね。メンドイ。見てるだけなら構わんが、何でそんな師の真似事をせねばならん」
 
 迷うことなくバッサリ。
 ……見も蓋も無い簡潔なお答えで。
 
「そんなこと言わずに頼むよ、俺もどうやって教えてやればいいか分からなくて不安なんだ。エヴァが手本を見せてくれれば俺も助かるんだ」
 
 そんな俺の言葉に、エヴァがピクリ、と反応を示した。
 
「……お前に教えてやることなぞないと思うが……そうか、つまりはお前の師か……」
 
 ……うん? えっと……そうなるんだろうか?
 ふむ、教え方を教える先生なのだから間違っちゃいないのか。
 
「そうだな、そうなる」
「私からもお願いします。最強と名高いエヴァンジェリンさんにご教授願えるのならば、これほどありがたい事はないです」
 
 『最強』、と言う単語に反応したのか、エヴァの口の端がニヤリと持ち上がる。
 
「……良いだろう、私が直々に見てやる。だが勘違いするなよ刹那、私は士郎の指導の師としてお前を見てやるだけだからな。こんな事は今回限りだと思え」
「はい、ありがとうございますっ」
 
 ピシッ、とエヴァに礼をする刹那。
 そこには少しの緊張が見え隠れしていた。
 
「それと士郎、そう言うからには今回は私のやり方で行かせて貰うからな。あまり口を挟むなよ?」
 
 わかったな、と念押しする。
 それに異論は無い。エヴァの事だから多少の無茶はさせるかも知れないけど、無理はさせない筈だ。
 そこら辺は信用しても構わないだろう。
 
「わかってる、今回はエヴァのやり方を見させてもらう」
「フフ……。――と、言っても私から言うことなぞ一つしかないのだがな。では刹那、――早速だがお前の”真”の姿を見せてみろ」
「――そ、それは……!」
 
 エヴァがそう言うと刹那は驚きの表情を浮かべた。
 ……なんだろう? エヴァの言葉の意味も分からないが、それに驚く刹那も分からない。
 なにやら二人だけの共通認識があるようだ。
 
「エ、エヴァンジェリンさん! それは……!」
「おいおい桜咲刹那……お前は舌の根の乾かぬうちから師に歯向かうのか? ――いいからやれ。これが聞けないのであれば師事の話はこれまでだ。私は別にどちらでも構わないのだからな」
 
 エヴァの有無を言わせぬ声。
 刹那はグッ、と言葉に詰また。
 刹那は数瞬、考える仕草を見せたが、決意をしたように俺を見た。
 
「……士郎さん、今から起こる事に驚くなとは言いません。…………ですが、どうか軽蔑だけはしないで下さい。お願いします」
 
 懇願するような瞳で言う。
 俺は切羽詰ったような刹那に何も言えず、ただ「分かった」と頷くだけしか出来なかった。
 
「――では、刹那」
「……はい」
 
 エヴァの促す言葉に頷く。
 刹那はギュッ、と目を堅く閉じると、自分で自分を掻き抱くように両腕で抱きしめる。
 そして、次の瞬間。
  
 バサリと――刹那の背中から大きな白い翼が現れた。
 
「――――」
 
 ――言葉が無かった。
 目の前の光景に只々、俺は呆然と立ち尽くすだけだった。
 
「……驚きましたか? ……今まで黙っていて申し訳ありませんでした。……私は見ての通りの”化け物”です。人間と烏族の間に生まれた混血児なのです。言い訳がましいとは思いますが、騙すつもりはありませんでした。ただ勇気が出無くて……。貴方に知られる事により遠ざけられるのが怖くて…………」
 
 ――刹那がなにか言っている。
 その言葉は耳に入っているが、目の前の光景に思考を奪われて良く理解できなかった。
 ……今の俺の感情を占めているのは一つだけ。
 それは、
 
「――――綺麗だ」
 
 その一点だけだった。
 
「――むうっ!?」
 
 エヴァが何かに反応しているがそれに意識を移せない。
 それだけ目の前の光景は鮮烈に俺の網膜に焼きついた。
 
「…………き、綺麗って……こ、怖くはないのですか?」
「――は? 怖いって……なにがさ?」
「なにがさって……翼ですよ!? こんな物が生えていたら気持ち悪いでしょう! わた……私は化け物なんですよ――ッ!?」
 
 刹那が己の心の慟哭をさらけ出すように叫ぶ。
 自分は化け物なのだから、貴方とは違う生き物なのだと。異端視して当然ではないのかと。
 
「…………」

 ……なに言ってんだか。
 
「……あのな、刹那」
 
 俺は頭の後ろを乱暴にガシガシと掻くと、刹那の目を睨みつけた。
 
「簡単に人の心を決め付けるな、馬鹿。ただ翼が生えているだけだろう? 俺はそんなものでお前を気味悪がったりしないし、むしろ綺麗だと思う」
「し、しかし……!」
「それにな、お前、――化け物の定義って知ってるか?」
「……定義、ですか?」
 
 同じことを誰かに言った気がする。
 ――あれはいつのことだったか。今の俺では思い出せない。
 
「――いいか刹那。化け物って言うのは優れた理性でモノを殺すんだ。人の手に余るほどの性能を総動員して、微塵の疑問も、悲しみも持たずに喜びを持って殺すのが化け物だ。それは容姿とかの問題じゃない。少し他と見た目が違うからって、ソレが化け物なんて、それはお前の思い込みだ。お前は間違いなく人間。 ――誰かを思いやる事の出来る優しいお前は、化け物とは正反対の人間だよ」
「――――」
 
 刹那の瞳の端に光る物が浮かぶ。
 まるで長年凍っていたナニカが溶け出したかのように――。
 
「…………ありがとう……ご、ざいます……」
 
 ぽろぽろと大粒の涙を零す。
 その様はまるで幼い子供のようだった。
 
「……ったく、泣くなよ」
 
 そんな刹那の様子に苦笑いを覚えると、俺は自然とその頭に手を置いていた。
 今の刹那が幼く見えて思わずやってしまったが、刹那もソレを振り払ったりせずにただ涙を流し続けていた。
 
「――コホン、コホン……あーあー、刹那。取り敢えずはそれでいい」
「お? お? おおッ??」
 
 すると、エヴァがなにやら咳払いしながら俺と刹那の間にグイグイ割って入ると、その背中で俺を押しのけて引き離した。
 え? なになに、なんだってんだ?
 
「な、何だエヴァ。どうかしたのか?」
「…………良いから下がっておれ。話が進まん」
 
 背中越しにギロリと俺を睨みつける。
 ――って、何怒ってんの!?
 俺なんかしたか!?
 
「――話を進めるぞ、いいな」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
 
 エヴァの言葉に、刹那が手の甲で涙をゴシゴシと拭うと、いつものキッとした凛々しい表情に戻る。
 
「いいか刹那。貴様がその翼をどう感じているかは知らんし興味も無い。だが戦闘と言う一点において、”ソレ”は間違いなくアドバンテージになると覚えておけ。通常の人間ならば両手両足しか使用できないのに対し、貴様はその翼で更に手段が増えるのだ。これは大きな利点だ。だが貴様はソレを忌避しているのか知らんが、それを使用するのに躊躇いを覚えている」
「そ、それは……」
「否定できまい? これは以前に貴様が士郎と手合わせした時に確認済みだからな。格下相手ならば良いやも知れぬが、士郎のような明らかに格が違う相手にすら出し惜しみをしているのが確かな証拠だ」
「――はい。確かに私はこの翼を使うことを嫌っています。しかしそれは、」
「……刹那、言っただろう。勘違いするな、と。私はお前の師等ではない。戦い方の手がかりを示唆してやってるに過ぎん。お前がその翼をどう考えているかなどと言った事は私には関係ない。……だがな。強くなりたい、などと言っているクセにその手段を自ら放棄している様では話にならん」
「…………」
「――強くなりたいのならば使いこなせ。貴様の負の象徴たるその翼を、自らの意志の元に屈服させろ。話はそれからだ」
 
 エヴァはそう言うと踵を返した。
 もう用は済んだとばかりに、こちらを振り返る素振りを微塵も見せずに。
 それでも最後に付け加えるように、
 
「――せいぜいこの空間を利用するが良い。ここには私達以外誰もいないのだ。存分に己の闇と向かい合うが良いさ」
 
 そう言って、その場を後にした。
 それに茶々丸もお辞儀をして続いた。
 刹那はその背中をずっと見つめている。エヴァの内面を見つめるように。
 
「――士郎さん」
 
 暫くの間、そうしていた刹那が唐突に俺を呼ぶ。
 俺がそちらを向くと、刹那は何かを決意したような強い眼差しをしていた。
 
「申し訳ありません。私から言い出して置いて勝手だとは思いますが、一人で修練させてもらっても構いませんか?」
「……ああ、頑張って来い」
 
 刹那は俺の言葉にコクン、と頷くと、その嫌いと言っていた翼を大きく羽ばたかせた。
 フワリ、と身体が宙に舞う。
 そしてもう一度俺を見ると、グン、と刹那の身体が一気に飛び上がった。
 そのスピードはグングンと速度を増し、見る見るうちに青空に溶け込んでいく。
 
「――頑張れ、刹那」
 
 青空を見上げる。
 遠くの空には一羽の白い鳥が舞っている。
 今は一人ぼっちでどこか寂しそうに見えるけど……いつの日かたくさんの仲間にめぐり合う日が来るだろう。
 ――だって、あんなに気持ち良さそうに空を踊っているんだ。それに憧れる鳥達だっているに違いないんだから……。
 
 
 
◆◇――――◇◆
 
 
 
「――ん? お前も来たのか、士郎」
 
 俺は縦横無尽に空を舞う刹那を見上げながら、エヴァの座る木陰へとやって来た。
 見るとエヴァは横座りをしながらお茶を飲んでいた。
 
「ヤツに付いてやってなくていいのか?」
「大丈夫、今の刹那に必要なのは自分に向き合う時間だ。俺が見ている必要なんか無いさ」
「……かもな」
 
 エヴァは薄く目を瞑り、興味を無くした様にお茶を口に含んだ。
 俺はそれを眺めながら隣に腰を下ろした。
 
「士郎さんも飲まれますか?」
 
 茶々丸が俺にお茶を差し出しながら聞いてくる。
 それに「ありがとう」と言いながら受け取ると、もう一度空を見上げた。
 
「……ありがとうな、エヴァ
「何がだ?」
 
 きょとん、とした感じで聞き返すエヴァ
 本当に意味が分からないといった風だった。
 
「刹那の事。俺だけだったら気付いてやれなかっただろうからさ」
「……礼を言われる筋合いは無いさ。師事の真似事を引き受けたのは私だからな。私は以前から思っていたことを言っただけに過ぎん。それに私はアイツをそこそこ気に入っている。あの程度の言葉なら気が向けばかけてやらんでもない」
 
 へー、やっぱりそうか。
 前々から思ってたけど、エヴァって刹那を認めてる節があったからな。
 そうじゃないかと思ってたけど……。
 
「そっか……どこら辺が、とか聞いていいか?」
「ふむ……そうだな。言うなれば……あの佇まい……と言った所か」
「……って言うと?」
「以前にお前も言っていただろう? アレは抜き身の刀のようだと」
「……ああ、あの時の」
 
 刹那と初めて手合わせをした日の事か。
 確かにそんな事を言ったっけ……。
 
「私はヤツのそんな部分が心地良い。能天気なクラスの連中などとは違い、ひたすらに己を戒める事を余儀なくされている。そんな鬱屈した感情は、闇を生きてきた私には心地良い」
 
 それは刹那の見せる怜悧さのことだろうか?
 鍛練の最中でもひたすらに、それこそ自身を追い込むように限界を超えようとしている厳しさの事だろうか?
 
「んー……それってつまり同属意識ってやつか?」
「……ま、当たらずとも遠からずといった所か。さて、そんな事よりこれからどうする? 刹那についてやる必要が無くなったとなると、これと言ってやることもないんだが……」
「考えてみれば……そうだな。結局、この竹刀と弓も使わなかったか」
 
 まあ、いつもみたいに打ち合う鍛練はここじゃなくても出来るんだし、今はこのままの方が良いと思うから良いんだけど。
 
「……ふむ、弓か。そう言えばお前が射る姿は見た時が無かったな。どれ、一つ見せてくれ」
 
 エヴァが面白そうに言う。
 俺の射って……。
 
「……んなもん、見て面白いか?」
「なに、どうせやる事は無いのだ。暇潰しにやって見せてくれ」
「別にいいけど……」
 
 弓と矢を手に立ち上がる。
 
「で、何を狙えばいいんだ?」
「ふむ、そうだな……」
 
 エヴァはそう言うとキョロキョロと辺りを見渡す。
 そしてその視線が一つの場所に止まる。
 その視線の先を辿っていくと……、
 
「…………」
 
 真っ青な空に浮かぶ、一つの白い点。
 ――いや、まさかな。
 幾らなんでもそんな事しないよなー、うんうん。
 きっと俺の勘違いだよなあ。
 するとエヴァは子供のようにはしゃぎながら”ソレ”を指差し言った。
 
「よし! ではあそこを飛んでいる刹那を、」
「やるか馬鹿ーー!」
 
 何を仰いますかこのチビッコ!
 さっきまで刹那には時間が必要だとか言ってたのにいきなり邪魔してどうするかっ!
 さっきまで真面目に話していたのに、いまいちシリアスが長続きしないな、おい!
 すると、エヴァは不機嫌そうに俺を半眼でにらみ付けた。
 
「む、私は戯れで気安く射落とすくせに……アイツにはソレが出来ないと言うか」
「当たり前だ、エヴァみたいに気安くそんな事出来るか」
 
 まあ、実際はエヴァにだってやったら駄目なんだけど。
 それに今の刹那を邪魔したら可哀想だし。
 
「……それはあれか? 私だったら気安い、と言うコトか?」
「へ?」
 
 いきなりの態度変化に戸惑う。
 さっきと打って変わって急にしおらしく上目使いで聞いてくる。
 ――なんでさ。
 
「ま、まあ気安いってのはあるけど……」
「そ、そうかっ、……うん、そうか、うんっ。ならばいい、許してやる!」
「…………」
 
 ビシッ、と俺を指差して宣言する。
 なにやら許してもらってしまった。いや、正直意味が分からんのだが。
 
「しかしそうなると何を的にしたものか……って。考えてみれば……お前、あそこまで届くのか?」
 
 エヴァがもう一度空にいる刹那を指差す。
 
「え? まあ……」
 
 矢を番えずに弓だけ引き絞り、狙いを付けてみる。
 刹那まで直線距離にして300m弱。かなりの速度で飛んでいるが…………。
 
「――うん、中るな」
 
 刹那のいる空間の少し先にイメージをずらして、直接中るようなイメージは出さない。
 仮にとは言え、知り合いをそういう対象として見るのは気持ち良いものじゃないからだ。
 それでも狙いをつけた場所にしっかりと中るイメージはあるから、間違いなくいける。
 
「ほう……この距離すら届くとは……凄まじいな。そうなると私の知覚の範囲外からも狙えるやも知れぬと言うコトか……つくづくお前が味方で良かったよ」
「……なんだよ突然。そりゃエヴァの敵になるつもりなんて微塵もないけどさ」
「ふふ……なに、こちらの話だ。私はその答えがあれば満足だよ」
 
 エヴァはそう言うと本当に満足そうに笑った。
 良くは分からないが……こんな風に笑ってくれるんなら……まあ、いいか。