第14話  友一人、妹二人

とある日の事である。
 いつもの様に休憩から帰って来た俺は、無人の店内で、これから来るであろう夕飯時の仕込みの準備をしていた。
 そんな中、そこに来客を告げるベルの音と共に、珍しい人が姿を表したのだ。
 
「やあ、お邪魔するよ士郎君」
「ああ、タカミチさん。いらっしゃい、珍しい……っていうか初めてですよね、ここに来てくれるの」
「ははは、そうだね。本当はもっと早くに来たかったんだけど、僕もこれでなかなか忙しい身でね。漸く時間が取れて来ることができたよ」
 
 そう言うとタカミチさんはカウンターに腰掛けた。
 その前にお冷を置くと、ありがとうと言って一口だけ口に含む。
 
「それにしても凄いね。最近ウワサになってるらしいじゃないか」
「ウワサって……なんの話です?」
「おや、知らないのかい? 安いのに物凄く美味しいと、学生を中心に広まっているらしいんだよ、君のお店が」
「――――」
 
 初耳だ。最近お客さんの数が増えてきたとは思っていたが、そんな事になっていたとは……。
 
「……その様子だと本当に知らなかったらしいね」
「……そりゃまあ、こんな事で嘘付いても仕方ないですし」
 
 そりゃそうだ、とタカミチさんは笑う。
 
「――それは取り敢えず置いといて。タカミチさん何か食べます? 折角だからご馳走しますよ」
 
 まだ時間的には夕飯に少し早いかもしれないが、折角来てくれたんだ、これぐらいもてなしてもバチは当たるまい。
 
「おや、そうかい? 実は僕もお腹がすいててね、少し早いが夕飯にしようかと思ってたんだ」
「はは、そうですか。じゃあ、丁度いいですね。何にします」
「そうだな……、じゃ、士郎君のオススメでお願いできるかい?」
「分かりました。少し待っててください」
 
 少し考える。
 タカミチさんは結構大柄だし量も食べられるだろう。
 と、なると定食か。
 ――そうだ、トンカツ定食にしよう。
 …………店の雰囲気にまるで合わないとかは言わない約束である。
 そうです、『創作喫茶 土蔵』は和食もやってます。ちなみに男性売り上げベスト3にいつも食い込む売れ筋だったりもします。
 豚肉を厚めに切り分け、筋切りをする。
 続いて、フォークでザクザクと穴を開け火の通りをよくする。
 
「そう言えば、士郎君はここに来る以前は何をしていたんだい?」
「え? ……ここに来る前、ですか?」
 
 タカミチさんは、調理をしている俺に何気ない感じで聞いてくる。
 表には出さないが内心、ちょっと焦る。
 以前の話となると前の世界の事だし、下手な事を言えばボロを出しかねない。
 現在、俺が違う世界の人間である事を知っているのはエヴァ茶々丸チャチャゼロの三人だけである。
 四人の協議の結果、出来うる限り俺の事は秘密としておいた方が、痛くも無い腹を探られない一番の方法であると結論づけたからだ。
 ここにエヴァでもいてくれれば、適当に話を合わせてくれそうだけど、生憎と今ここにいない人物にそれを言うのはせん無い事だ。
 ――これはもしかすると不味いのではなかろうか? 食事処としてはいかがとも思うが!
 ――ではなくて。下手な誤魔化しはなんだか見破られそうな気がする。
 
「あ、言い辛いことだったら無理に言わなくてもいいよ」
 
 むむむ、と唸っている俺を気の毒に思ってくれたのか、そんな言葉をかけてくれた。
 
「あ、いや、そんなこと無いんですけどね。……まあ、その、世界を回って色々と……――」
 
 ゴニョゴニョと語尾を濁しながら何とか呟く俺。
 う、嘘は言ってないよな、嘘は!
 
「へえ、そうか世界を! 何処に所属を? 僕は『悠久の風』に所属しているんだけど」
 
 げ、藪蛇。
 一転、嬉々として問いかけてくるタカミチさん。
 意外な共通点がありそうで嬉しいのだろう。
 で、『悠久の風』ってなんだ、どっか地方のお土産だろうか。
 それはともかく、何とか話を合わせるしかない。
 
「や、えー、あー、そのー……所属とかは無くてですね。まあ、フリーで色々と」
「そうか、フリーか……。それも道の一つだろうね。……知っているだろうけど僕の所属している『悠久の風』は広く認知されていてね、色々な面での支援や魔法の使用許可などが降り易くなるなど、ある種の特権を持って動き回る事が出来るんだ」
「――ええ」
 
 『悠久の風』と言う組織がどんな物かは知らないが、話の内容を聞いているとタカミチさんの言いたいことは分かる。
 恐らく『悠久の風』はかなり大規模、もしくは有名な組織で、こっちの世界の魔法社会では誰もが知っている組織なのだろう。
 そうなれば世界的な庇護下での活動が可能となり、大きな行動もとれるようになる。
 
「けれど、逆にそんな大所帯に組しているからこそ出来ない事もまた増えてくる」
「はい」
 
 そう、組織が大きくなるのはなにも良い事ばかりではないのだ。
 母体が大きければ大きくなるほどしがらみは増えるものだ。行動を起こす際の制約や制限は当然のこと、何時如何なる時でも監視の目は付いて回る。更に動き出すまでの時間が酷く遅くなってしまうのだ。
 その間に失われる何か――。
 
「もしかしたら君には、何処かで僕にできなかった『何か』をして貰ってのかもしれないな」
 
 ――そうやって笑うタカミチさんは、笑顔なのに何処か儚げで、泣いているようにも見えた。
 タカミチさんは、スーツの内側からタバコのケースを取り出すと、軽く掲げるようにして俺に見せ、言外に吸ってもいいかと訪ねる。
 俺はそれに頷き、カウンターの中から灰皿を差し出した。
 それを受け取ったタカミチさんは、タバコを一本取り出し、それに火を着けた。そのままチリチリとタバコの火を赤く灯す。
 そして、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
 
「…………」
「…………」
 
 どれ程そうやっていただろう。
 俺は無言で調理をし、タカミチさんはタバコの煙を燻らせる。
 お互いが何一つ言葉を発しない。
 ……でも、なんでだろう。それが沈黙であろうと、何か言葉のような物を交わしている気がする。
 俺の料理が出す湯気や煙がタ、カミチさんのタバコの煙と共に天井へと昇っていき、その境界を無くし混ざり合う。
 俺は料理を見詰め、そしてタカミチさんは昇っていく湯気でも煙でもない何かを只眺め続けていた――。
 
「どうぞ、お待たせしました」
 
 完成した料理をタカミチさんの前にカタリとお盆ごと置く。
 
「おっと、これは旨そうだ。トンカツかい?」
「ええ、ウチの人気メニューです。――あと、これを」
 
 今度は、ゴトリ、という重い音と共にグラスを置く。
 
「……これは?」
「見たまんまビールです」
 
 泡立つ黄金色の液体を見て、タカミチさんは瞳を丸くした。
 
「嫌いですか? ビール」
「いや、そんなことないけど……、こんな時間からかい?」
「まあ、別に構わないじゃないですか。それに――――誰も見てないし、硬い事言いっこ無しです」
 
 出来るだけ悪そうな顔を作って言い放つ。
 そんな俺にタカミチさんはもう一度目を丸くすると――、
 
「ふ――は、はは、はははっ! あははははは!! 成る程成る程、確かに君の言う通りだ! ”今ここには他に誰もいない、なんだって自由に出来る”」
 
 目の端に涙を浮かべて心底面白そうに笑う。
 それこそ子供のように純粋に。
 
「わかった、折角だから貰おう。 ――ただし、条件がある」
「条件、ですか?」
 
 タカミチさんは俺に、ビシリと指を突きつけると、
 
「ああ、条件だ。…………君も付き合え」
 
 なんて、言い放った。
 
「……え。――俺も、ですか?」
「ああ、そうだ。なんだ、もしかして飲めないのかい?」
「いえ、そんな事無いですけど俺は仕事が……」
「なに、一杯だけだよ。そんなに気にするな。それに――」
 
 タカミチさんは言葉を溜めてニヤリと口の端を歪ませた。
 
 
「――誰も見ていないんだ、硬い事言いっこ無しだよ」
 
 その言葉に、今度は俺が目を丸くする番だった。
 
「……はっ! ははははは! はい、分かりました。付き合いましょう!!」
 
 成る程、自分でやっておいてなんだがこれは想像以上に楽しいかもしれない。
 そう、”少なくともこの場の限られた場所、限られた事柄であろうと、極々限定的にでも、今はしがらみに囚われず自由に行動できる”。
 笑いながら俺は自分の分のグラスにビールを注いだ。
 
「折角だし、乾杯しましょうか」
「お、いいね。何に対してだい?」
「ま、今の俺たちの場合だと何かを祝って……感じじゃないですね」
「そうだね、じゃあ願掛けみたいな物でもするかい?」
「いいですね。じゃあ――」
 
 ……一瞬、目を見合わせる。
 それだけで十分だった。
 きっと、この人には言葉にせずとも伝わる。
 二人同時にニヤリと笑い、グラスを掲げた。
 異口同音で発せられる言葉は同時に響いた。
 
『――世界平和を祈って』
 
 ガチンとグラスをぶつけ合い俺達は、馬鹿みたいに笑いあった。
 端から見たらさぞ可笑しな光景に映るだろう。
 それでも、
 
 ……悪くない。こういうのも稀には悪く無い。そう感じたのだった。
 
 暫くタカミチさんと身の無い話を語り合う。
 今年の野球はドコが勝ちそうだ、宇宙人はいるか、目玉焼きには何をかけるか、そんな感じの取りとめも無い事をダラダラと。
 その間、タカミチさんはトンカツをツマミにビールのお代わりを注文。
 俺は一杯だけ飲みきって、ポツポツと来店しだしたお客さんの注文を仕上げていく。
 そうやっていると新しい来店を告げるベルがまた鳴った。
 
「ほら、アスナ。ここやよ、最近評判のお店って」
「って、ホントに寮のまん前ね……」
 
 入ってきたのは二人組みの女子。
 片方は見覚えがある。と言うか神楽坂さんだ。
 もう片方は……見覚えは無い。
 長い黒髪に、柔和に整った顔立ちは、何処か日本人形を連想させた。
 そんな穏やかな雰囲気に合った柔らかいイントネーションの関西弁。
 
「いらっしゃい、神楽坂さん」
「あれ、衛宮さん? ……――と、たたた、高畑先生ッ!!??」
「やあ、アスナくんにコノカくん。こんばんは」
「あ、高畑先生。こんばんは~」
 
 なにやらドモリまくる神楽坂さんと、それと対照的にポワワ~ンと、おっとりした感じで挨拶をする連れの女の子。
 ……一体何なんだと言うのであろうか。
 
「こ、こんばんは!! あ、あの御夕食ですか!?」
「あ、ああ。そうだよ。君達もかい?」
 
 はて、彼女はこんなに可笑しな喋り方をする子だったろうか?
 なんか顔も赤いし。
 その間も神楽坂さんはシドロモドロになりながら、なにやら熱心にタカミチさんに語りかける。
 ちにみにその間、俺も連れの女の子も只ボケーッと流れを見守るだけ。
 
「え、ええ。その、このかに誘われまして……あ、あの、宜しければ一緒に……」
「そうか、だったら一緒にどうだい?」
「――! は、はい、是非!!」
 
 神楽坂さんは喜色満面の笑顔を浮かべると、タカミチさんの隣に腰掛けた。
 その様子を見ていた連れの子が苦笑交じりに「しょうがないなぁ~」とでも言いたげに、神楽坂さんの隣に座った。
 
「君達はよくここに来るのかい?」
「いえ、私達は今日が初めてで……。前からウワサになってたんで行ってみようって話になって」
「ほう、そうっだたのか。……ほら、見てみてたまえ士郎君。やはり僕の言うとおりだったろう?」
「そうみたいですね。まあ、嬉しい事です。神楽坂さんも来てくれてありがとうな」
 
 お冷とおしぼりを二人の前に置く。
 
「いえいえ、そんなお礼なんて衛宮さ……――って、あれ? 衛宮さん居たんですか? それにそこで何やってるんですか?」
「…………」
 
 居た。居ましたよ最初から。うん、まあ、なんかそんな気はしてたさ。
 俺は目に映っていなかった、もしくは忘れ去られていたらしい。
 あとここは俺の店です。
 
「ごめんな~、お兄さん。アスナも悪気は無いねん、たまに暴走するんは堪忍したってや~」
 
 神楽坂さんに変わって謝られてしまった。
 
「や、別に怒ってなんかはないけど……。えっと、君は……?」
 
 するとその女の子は胸の前で両手をぽむ、と合わせて言った。
 
「ああ、せやった。自己紹介まだやったな? ウチはアスナの友達でルームメイトの近衛木乃香や、宜しゅうな、お兄さん」
 
 俺に手を差し出しながらニコニコ笑顔を向けてくる。
 
「えっと、俺は衛宮士郎。一応この店の店長やってるんだけど……まあ、宜しく」
 
 俺もぎこちなくその手を握り返す。
 近衛さんはその手を、ブンブン上下に振ると、何かに驚いたかのように表情を変えた。
 
「ほえ~、店長さんなんや~……すごいなぁ」
 
 にぎにぎ。
 
「あれ? 神楽坂さんに聞いてなかったのか?」
 
 俺、確か遊びに来てみたいな事言ったような……。
 
 にぎにぎ。
 
「あ、そういえば……。そんな事言ってたような……そうでないような……」
 
 そっぽを向く神楽坂さん。
 ――うん、忘れてましたね?
 
 にぎにぎ。
 
 で、
 
「……えっと、近衛さん?」
「うん? どしたん?」
 
 にぎにぎ。
 
 きょとんとした表情で聞いてくる近衛さん。
 
「……や、なんでそんなに手を握ってくるのでしょうか?」
 
 思わず敬語になる。
 そう、さっきから手を握りっぱなしの上、やたら俺の手を握り締めてくるのです。
 ……正直落ち着かない。
 ぷにぷに、すべすべした手の感触が非常に落ち着かない。
 
「ん~? いや、なんかな? 衛宮さんの手ってゴツゴツしててスゴイなぁ~……思て。これがホンマモンの料理人の手なんやなぁ~って」
「や、えっと、その……」
 
 今度は俺の手を両手で包み込むように握ってくる。
 俺の手がゴツゴツしているのは確かだけど、それは主に竹刀ダコによるものだ。
 そう言われても反応に困る。
 
「ちょ、ちょっとこのか! 衛宮さん困ってるわよ!」
「へ? ……ああ、ごめんな衛宮さん。ウチ、邪魔してもうたか?」
「いや、そんな事ないよ。それより注文は何にする?」
「あ、せやな。えっと……な、ウチはビーフシチューで」
「あ、それ美味しそう。私もそれで」
「了解。ちょっと待っててな」
 
 ビーフシチューは既に煮込んで完成してあるので大して手間ではない。
 あとはつけ合わせのサラダを保冷庫から出して、パンを焼くだけである。
 バケットから一人当たり二切れをナイフで切りだす。
 そこにバター、ガーリック、パセリ等を混ぜたものを塗り、オーブンへと入れる。
 
「あの、高畑先生はよくここに来るんですか?」
「ん? 僕かい? 僕もここに来たのは初めてだけど……そうだね、これからは良く来させて貰おうかな? こんな良い店なかなか無いし」
 
 そう言ってタカミチさんは俺に軽く目配せをする。
 俺はそれに軽く苦笑で返すと調理に戻った。
 
「へ、へ~……そうなんですか……」
 
 神楽坂さんはそれを聞くと小さくガッツポーズをしていた。
 ――さっきからなにやってんだろう?
 そんな神楽坂さんを不思議に思っていると、タカミチさんから何やら電子音が聞こえてくる。
 
「――っと、失礼。はい、もしもし」
 
 ああ、携帯電話か。
 そういえばウチにいる連中は誰も持ってないよな……。
 エヴァが持っている気配はないし、茶々丸は……必要ある……の……か?
 どうなんだろう、茶々丸の場合だとそういう機能も持っていそうではある。
 
「ああ、学園長……、ええ、大丈夫ですけど。はい……はい……ええ、明日ですよね。……え? 彼も、ですか?」
 
 ん? なんかタカミチさんがこっちを見たような?
 
「……なるほど、良い判断だと思います。では、彼には僕の方から伝えておきます。……え? 今からですか? わかりました。ええ、ではそのように……」
 
 ピッ、と通話を終わると背広の内ポケットに携帯をしまった。
 
「すまない。ちょっと用事が出来てしまったのでこれで失礼するよ。アスナ君、コノカ君、こちらから誘っておきながら申し訳ない」
「あ、そ、そう……ですか……」
 
 あからさまに落ち込む神楽坂さん。
 
「い、いえ、しょうがないですよ。お仕事でしょうし……」
「本当にすまない。――ああ、士郎君」
「はい? なんですか?」
「明日、朝一で学園長室に来てくれるかい?」
「学園長室……ですか?」
「ああ、士郎君にも知っておいて貰った方がいいからね」
「はぁ……、良く分からないけど分かりました……? 何時くらいに行けばいいんですか?」
「そうだね……、七時半くらいに来てもらえれるかな」
「わかりました、七時半ですね」
「ああ、頼むよ。じゃあ明日――」
 
 そう言うとタカミチさんは懐から何やら取り出し、それをカウンターテーブルの上に置くと踵を返した。
 見るとそこには乗っているのは五千円札だった。
 
「え……ちょっ、ちょっと! タカミチさん、これッ!!」
 
 今日は俺の奢りのはずだ。
 例えそうでないにしても、こんなに貰うわけにはいかない。
 
「なに、安いもんだよ。それにこんなに楽しくお酒を飲んだのも久しぶりだ。せめてお金を払わないと僕の気がすまない。それは貰っておいてくれ」
 
 タカミチさんはそのまま振り返ることなく手を振ると、扉を潜って行ってしまった。
 
「――ったく、仕方ないな……」
 
 そんな風に言われたら返せないじゃないか。
 
「……あ、行っちゃった」
 
 目の前では、しょげる神楽坂さんの肩を近衛さんが叩いてあやしている。
 
「えっと……、とりあえずお待たせ」
 
 二人の前に料理を並べる。
 
「あ、ほら、アスナ。料理できたえ? 食べよ?」
「へ? あ、うん」
 
 呆けていた神楽坂さんは、漸く目の前の料理へと目をやった。
 
「あ、……すいません衛宮さん。なんだかみっとも無いトコ見せちゃって……」
「え、いや、みっともないって事は無いけど……まあ、良く分からないけどご飯でも食べて元気だしな?」
「あ、ありがとうございます……」
 
 神楽坂さんはまだ少し沈んでいるものの、笑顔を見せてくれた。
 そうやってスプーンを手に取ると、シチューをすくいそれを口に運ぶ。
 
「――っ! うわ、美味し! これ凄く美味しいですよ衛宮さん!」
「うん、ホンマ。お肉もトロトロや~」
 
 今までの落ち込みようが嘘のように食べ始める神楽坂さんと、満面の笑みで味わうように食べる近衛さん。
 
「気に入ってもらえて何よりだ」
 
 そんな様子に思わず笑みがこぼれる。
 こんな幸せそうに俺の料理を食べているのを見れるだけで、作った甲斐があるってものだ。
 
「そういえば、衛宮さんって高畑先生と仲良かったんですか?」
 
 あらかた食事が終わったころ。
 口の中のものをキチンと飲み込んでから、神楽坂さんが聞いてくる。
 
「タカミチさんとか? ん、まあ、そりゃあな。一応同僚だし」
「あ、そういえば同じ指導員だって前に言ってましたっけ?」
 
 以前、朝に会ったときの会話を覚えていたらしい。
 手元を見て作業を続けながら答える。
 
「ん、そう言うこと……まあ、なんとなく気が合いそうとかもあるけどな」
「ふ~ん……そうなんや~。でも、二人ともスゴイな? 先生やって指導員やってとか、お店やって指導員やって~とか……」
「そうよね~、言われて見れば片方だけでも大変そう……」
「確かに大変だけどな……。でも、まあ、指導員の仕事はやりがいもあるし……お店の方は俺の料理で君達みたいに笑顔になってくれるのを見るのが嬉しいから、大変だけど苦にはならないよ」
 
 そうやって俺が言うと二人して「お~……」と感嘆の声を挙げ拍手をしてくれる。
 
「はぁ~……衛宮さんって偉いって言うか、凄いって言うか……大人よね……」
「せやね~、とてもやないけどウチには真似できひんわ……」
 
 そんな言葉に「そこまで大したもんじゃないさ」と、苦笑と共に返す。
 それと同時に二人の前に、カタリと皿を置く。
 
「あれ、衛宮さん? 私達なんか注文しましたっけ?」
「これは俺からの奢り。神楽坂さんはなんか元気なかったみたいだし、近衛さんは出会いを祝して、みたいな感じのもんだよ」
「わ、すいません。そこまで気を使って貰っちゃって……」
「んー……そこはあれだな。できれば『ありがとう』って言ってもらったほうが、俺も嬉しいんだが……」
「――っぷ。そうですね。ありがとうございます衛宮さん!」
「ありがとうなぁ~」
「いえいえ、どう致しまして」
 
 空になった食器を下げ、代わりにケーキと紅茶を置く。
 それを見て二人はパッ、と顔を綻ばせた。
 
「これも美味しいなぁ~。ん~、……にしてもあれやね。衛宮さんって」
「ん? 俺が……なに?」
 
 近衛さんはケーキをモムモムと幸せそうに頬張っている。
 
「うん、衛宮さんってなんや――お兄ちゃんっぽいなぁ~思て」
「お、お兄ちゃん?」
「うん、お兄ちゃん」
 
 俺がお兄ちゃん?
 や、そんなイリヤじゃないんだから……。
 ……いや、待てよ。前にイリヤどころか桜にも、終いにはセイバーにもそんな事を言われた記憶があるようなないような……。
 
「あ~……それは私もなんか分かるわ」
「せやろ、せやろ?」
 
 近衛さんの隣で、フォークを咥えながら神楽坂さんが神妙そうに頷く。
 
「衛宮さんってあれじゃないですか。こういう言い方すれば失礼かもしれないけど……普段って結構ぶっきらぼうって言うか、無愛想って言うか……」
「そうなん? ウチはそんな風に感じんかったけど……」
「だから普段よ、普段。だって私、初めて衛宮さん見た時なんて『うわ、こんな朝っぱらから不機嫌そうに歩いてる人がいる!』って思ったくらいだもん」
「……悪かったな、仏頂面で」
「あ、怒らないでくださいよ! だから最初だけですってば! ……で、まあ、私もそのまま素通りするのもなんだったんで……挨拶してみたんだけど――やっぱり無愛想で……」
「おい」
 
 変わってないし。
 
「まだ話終わってないですってば! えっと、それでまあ、返って来た挨拶も無愛想なのは変わらなかったんだけど」
「それはもういい」
「だけど、そのまま通り過ぎようとした私に、暖かい紅茶を奢ってくれて『朝早いのにご苦労さん、風邪、引くなよ』って……そのまま帰っちゃったじゃないですか」
「……そうだっけ?」
「そうなんです! で、最後まで無愛想なくせに、その後も私に会う度になんか奢ってくれたり、毎回気を使ってくれたり……それからですかね? 衛宮さんと話すようになったのは」
「……ああー、言われて見ればそんな気がする」
 
 しかし、そんなに珍しい事だろうか?
 誰だって朝早くから頑張っている子がいれば、ついつい応援したくなるのが人情って物だと思うけど……。
 
「はぁ~、なるほろ~。やっぱり話を聞けば聞くほど衛宮さんってお兄ちゃんっぽいな~……何のかんの言うても優しいし」
「うんうん、無愛想なのが玉に瑕だけど、頼りになるし気遣ってくれるし」
「………………………」
 
 え~……。
 俺はこんな時どんな反応を返せば良いんでしょうか?
 どうも過剰に持ち上げられてる気がする。
 ――けど、それはそれとして、結局最後まで無愛想なのは変わらないのな? 知ってたけど。別にいいけど。
 
「ん~……、そうなると、何がええんやろな?」
 
 近衛さんはそう言うと、顎に手を当て、可愛らしく首を掲げた。
 
「『何が』って……何が?」
「ん? 衛宮さんの呼び方~」
 
 へ?
 呼び方……ってナニ?
 
「ほら、そない世話になっとるんに、いつまでも『衛宮さん』やと堅苦しいやん?」
 
 いや、そんな可愛らしく『~~やん?」って聞かれても……。
 俺は何でも構わんのだが。
 
「それもそうね……えっと、じゃあ――お兄ちゃん? …………うわっ、思ったより恥ずかしいわね、この呼び方」
 
 うん、それは俺も恥ずかしい。
 どう考えても兄弟姉妹には見えないこの二人から、公衆の面前でそんな風に呼ばれたら、身悶えてしまう事間違い無しだ。
 ……イリヤがいながら今更とかは言わない方針で。
 
「ん~……ウチはそんな事無いんやけども。そうなると……えっと、衛宮士郎やから……士郎兄ちゃん?」
「……なんか、小さい子供が近所の年上の事を呼んでるみたい」
「意味的にそんな間違ってないやんか? ウチ、この呼び方なんか好き~♪」
「それもそうなんだけど……」
「…………」
 
 く、口を挟めない!
 自分の呼び方が目の前で決められるという、この奇妙な場において、張本人に発言権は与えられないのだ!!
 
「私としてはもっと砕けた方がいいって言うか……そうね、このかの呼び方に近づけるとすれば……———しろう、にぃ?……シロにぃ、うん、私はシロ兄がいいわ!」
「ほか? ほなウチももうちょっと崩して……アスナがシロ兄やろ? う~ん、シロにぃ……ちゃん? ん~……うん、ウチはシロ兄やん! これがええわ」
 
 イェーイ、とハイタッチをかわす二人。
 
『と、いう訳で』
 
 そして同時にこちらを見ると、声を重ねて言う。
 
『これからも宜しく』
「シロ兄」
「シロ兄やん」
 
 ニコリ、と向けられる笑顔にたじろぐ俺。
 
「――は、はは……。宜し……く? 神楽坂さんに近衛さん?」
 
 と、俺がなんとか返事をすると、そんな俺に不満そうに頬を膨らませる二人。
 ……なんでさ。
 
「あん、ややわ~……ウチ等が、シロ兄やん言うてるんに、そないな他人行儀。ウチの事は『このか』って呼んでくれてええんよ?」
「そうそう。私の事も『アスナ』でいいから」
 
 いきなり女の子を下の名前で呼びつけるのはどうかと思うが……。
 ――まあ、仕方ない。これも二人からの親愛の表れだと思えば嬉しい事だ。
 俺は両手を上げて降参のポーズをする。
 
「……負けたよ。――了解、アスナにこのか。こちらこそ、これからもよろしく頼む」
 
 俺がそう言うと、二人はもう一度顔を見合わせてハイタッチ。
 
「……ったく。ほら、紅茶のお代わりいるか?」
「あ、さっすがシロ兄、気が利く♪」
「シロ兄や~ん、ウチも、ウチも~」
「はいはい」
 
 まあ、少なくとも他人から慕われるのは嬉しいもんだ。
 そう思うと、呼び方なんて多少の事など、些細のものだとも思う。
 
「あ、そういえばこのか」
「ん~……この紅茶もええ香りやわ~……って、なんや?」
「さっきの高畑先生の話で思い出したんだけど、アンタも確か明日の朝用事あるとか言ってなかった?」
「ああ、それ? んっとな~……なんやウチのじいちゃんが、今度新しく来る事になった先生のお出迎えして欲しいんやて~」
「はあ? なにそれ。なんでアンタがそんな事まですんのよ」
「さあな~? ウチにもようわからんけど」
「……ふ~ん、ま、いいわ。――さて、ご馳走さま! とっても美味しかった、シロ兄! そろそろ帰りましょ、このか」
「ん、せやな。ほなウチも……ご馳走さまっと。いや~、ホンマ美味しかったわ。今度、お料理教えてな、シロ兄やん?」
「了解。気をつけて帰るんだぞ」
「気を付けてって……シロ兄、寮は目の前よ?」
 
 俺の言葉にアスナは薄く笑った。
 
「そういえばそうか。ま、それでもさ」
「うん、ありがと。じゃ、お休みシロ兄」
「シロ兄やん、おやすみ~」
 
 手をパタパタ振りながら、二人は扉の向こうへ消えた。
 そこでようやく外がもう闇に包まれている事を知った。
 天井を見上げてみると採光用の窓に大きく映る白い楕円。
 
「――ああ、そうか。今日は満月なんだ」